激しい消耗戦で戦力が失われ、国は動員強化に動いた。これまで戦場からの離れていた若者や子どもたちに目を向け、海軍は彼らを海軍のパイロットとして育成しょうと宣伝に力を入れた。海軍の教育機関で空を目指す飛行予科練習生の姿が繰り返しメディアで紹介された。海軍は志願の条件を一部見直し、対象年齢を15歳から志願できるように引き下げた。佐賀の中学校に通っていた於保昌二の手記には「勇壮なポスターの掲示を見ても我々は特段の関心を示さなかった」「中学生が空の勇士を希望する、それは英雄を冒涜する様なものとしか映らなかったのである」などと綴られていた。於保は兵士として戦うよりも学業を優先したいと考えていた。