映画俳優、高倉健のエピソードを紙芝居で紹介。終戦後、貿易商を目指して東京の大学へ進学。卒業の頃、映画プロデューサーにスカウトされ、東映ニューフェイスの二期生として芸能界入りを果たす。養成所の指導者から辞めたほうがいいと勧められると、反骨精神に火がついたという。32歳のとき、「人生劇場 飛車角」で注目を浴び、主演映画「日本侠客伝」が大ヒット。「新幹線大爆破」では犯人役を好演。「網走番外地 大雪原の対決」で馬に引きずられるシーンがあるが、体中血だらけになったといい、「幸福の黄色いハンカチ」の食事シーンの撮影前、高倉は2日間、絶食していたという。「南極物語」の撮影は南極でも行われたが、高倉らは命の危機に直面。高倉は「死を身近に感じ、命に限りがあることを痛感しました」と振り返っている。ストイックな役作りに努める一方、スタッフへの気遣いは忘れず、83歳で亡くなるまでに205本の映画に出演した。