福島・大熊町で原発事故でつながりを絶たれ心に傷を負った娘と母の13年を取材した。大熊町では町の約5割が帰還困難区域となっている。2019年から一部区域で避難指示が解除され、震災前の人口の約1割が戻った。この街に住むまちるさん27歳は、去年子供を出産した。震災後、人間関係をうまく築けなくなり、一時は引きこもっていた。震災当時は中学2年生。長女としてきょうだいをまとめるムードメーカーで、明るく社交的な女の子だった。原発事故により町が用意したバスで避難し、中学校の友達と突然別れることになった。失ったとき、ものすごくショックだったのを今でも覚えているという。避難したのは約100キロ離れた会津若松市。高校も会津若松市だった。しかし、高校には地元の同級生がほとんどいなく、被害が小さかった避難先では誰も理解してくれないと孤立していった。そんな娘を近くで見てきた母・やよいさんは、人と関わろうとしなくなった娘を心配して心療内科に連れて行った。当時のもどかしい思いが日記に残っている。高校に入ってからまちるさんは級にボーイッシュな格好をするようになった。まちるさんは、弱い自分が嫌で自己防衛していたと振り返る。卒業後、新潟にあるスポーツの専門学校に進んだ。そこでも孤立し、1年経たずに中退しひきこもるようになった。震災から6年後の2017年、転機が訪れた。まちるさんは成人式に出席するか迷っていたが、母に背中を押されて出席した。中学時代の友人と6年ぶりに再会し、友人に被災前と同じように接してもらえて楽しい時間を過ごした。成人式の4か月後、まちるさんは母の実家・山梨にある祖父の工場で働いてみることにした。職場ではまちるさんが最年少で、子供や孫のように接してくれた。4年前に大熊町に戻り結婚し、今は母に助けられながら育児をしている。