亜細亜や太平洋の広大な地域を占領下においた日本軍だったが、連合国軍が反撃を開始すると劣勢に立たされた。戦況の悪化は隠しきれなくなっていたが、東京の新聞社に勤めていた森正蔵はアッツ島の戦いで日本軍が全滅したあと国民を鼓舞し愛国心を高める記事を書いていた。この頃新聞などにスローガンが頻繁に現れるようになった「玉砕」「鬼畜米英」など戦意を高揚させる言葉は、人々の日記の中にも浸透していた。今回集めたエゴドキュメントは1900人分、19万3481日分にのぼる。そこから戦意高揚に用いられた言葉を抽出し時系列に沿って並べると、1943年から6月から11月にかけて右肩上がりで増えていた。京都の呉服店で働いていた竹鼻信三は1943年、陸軍の兵器工場に徴用された。日記には「重大使命を思い一徴用工員の本分を尽くさん」「くにの為、昔の夢は皆すてて職場に生きん今日の喜び」などと綴られていた。この年国は国家総動員法に基づく徴用を拡大し、兵役についていない市民を強制的に動員していった。竹鼻は自分の店を持つことが夢だったが、その気持は押し殺すことにした。