昭和12年7月17日、日中戦争が始まり、佐野亀一には現地の治安維持のため派遣の命が下された。出発の朝、亀一は妻に手紙を書くことを約束、当時5歳だった要さんはその時の姿を今も覚えているという。
昭和12年7月28日、亀一は中国・天津に到着。ところがいきなり戦闘に巻き込まれ、亀一も緊急出動を余儀なくされる。戦いが落ち着いたのは4日後、早速妻に手紙を書き、その手紙には家族を心配する内容が綴られていた。そして8月中旬、亀一の部隊は進軍を開始、家族の元には2通目の手紙が届くが、それ以降は何の音沙汰もなかったという。
2通目の手紙を送った9月25日、亀一達は山西省の近くを進んでいた。しかしこの時、圧倒的兵力を持つ中国軍が崖の上で待ち構えていたという。当時の父の姿を知った里見浩太朗は、戦争によって2人の愛が引き裂かれて悔しいと語った。
昭和12年7月28日、亀一は中国・天津に到着。ところがいきなり戦闘に巻き込まれ、亀一も緊急出動を余儀なくされる。戦いが落ち着いたのは4日後、早速妻に手紙を書き、その手紙には家族を心配する内容が綴られていた。そして8月中旬、亀一の部隊は進軍を開始、家族の元には2通目の手紙が届くが、それ以降は何の音沙汰もなかったという。
2通目の手紙を送った9月25日、亀一達は山西省の近くを進んでいた。しかしこの時、圧倒的兵力を持つ中国軍が崖の上で待ち構えていたという。当時の父の姿を知った里見浩太朗は、戦争によって2人の愛が引き裂かれて悔しいと語った。
