TVでた蔵トップ>> キーワード

「内閣情報局」 のテレビ露出情報

昭和21年3月、皇居で昭和天皇に対する緊急の聞き取り作業が始まった。戦争との関わりを記録するため。当時風邪を引いていて、ベッドに寝たまま戦前・戦中の出来事を語った。聞き取りは記録にまとめられ7年前に発見された。結論の欄には「私がもし開戦の決定に対して拒否したとしよう 国内は必ず大内乱となる」「日本は滅びることになったであろうと思う」とある。この文書が天皇の私的回想録なのか、何らかの目的のために作られたのか、発表以来論争が続いてきた。元GHQ高官の自宅には英語で書かれたもう1つの独白録が残されている。内容は日本版と共通する部分が多い。
昭和20年8月、日本は降伏に際し天皇による国家統治の体系を認めるよう連合国に要求。海外からは昭和天皇の戦争責任を問う声も多かったが、9月27日に昭和天皇は初めてGHQマッカーサー司令官を訪問。英語版の独白録を持っていたフェラーズ准将はこのとき、昭和天皇を玄関で出迎えている。マッカーサーとの会談は2人だけで行われた。フェラーズが家族にあてた手紙によると、マッカーサーは「彼(天皇)は覚悟ができている」「首が飛んでも仕方ないと考えているようだ」と発言。
元GHQ高官フェラーズのもとに残されていた英語版昭和天皇独白録。作成したのは米国通外交官の寺崎英成。昭和21年から昭和天皇の御用掛を務めた。日本語版独白録も寺崎の遺品から見つかっている。日本語版の冒頭にはこの文書が作られた経過が書かれている。内容は全30項目。英語版は見出しなし。内容は日本語版の10項目分に相当、日米開戦に至るまでの経緯に絞り込まれている。終戦後は天皇の戦争責任を問う世論が強くなるなか、米政府やGHQでは意見が割れていた。この問題の検討を命じられたのがフェラーズ。
戦後、昭和天皇の戦争責任について検討を命じられた元GHQ高官フェラーズ。結論として「日本国民にとって天皇は民族の生きた象徴」「もし天皇が裁判に付されれば統治機構が崩壊」と天皇を訴追しないよう強く進言。フェラーズは戦前に3度来日。初来日のきっかけは大学時代に出会い親しくなったクリスチャン日本人女性、渡辺ゆり。渡辺が勧めたのはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の著書「神国日本」。日米開戦前の1935年に書き上げた論文「日本兵の心理」では、天皇を中心とする日本人の行動原理について「天皇のためなら命を惜しまない」と考察。レイテ島の戦いでは日本軍への敵の戦闘意欲を下げ投降を促す「心理作戦」を命じられる。軍部への忠誠心が弱いことを利用し、「天皇は騙されている」という宣伝方針を徹底。
昭和20年8月、原爆が投下され日本政府は降伏の検討に入る。米国は日本の終戦交渉の経過をビラにして東京上空から撒いた。陸軍強硬派は本土決戦の意向だったが、昭和天皇が終戦の聖断を下した。天皇がただちに全軍に戦闘停止を命じると、それまで捨て身の抵抗を続けていた日本軍は速やかに応じた。戦犯を裁く東京裁判を前に、連合国の間では昭和天皇の処遇をめぐり意見が分かれていた。日本通の元GHQ高官フェラーズはソ連への脅威もあり天皇を訴追する危険性を主張。マッカーサーは「天皇を告発すれば日本国民が大騒乱」「天皇は日本国民統合の象徴」と本国に勧告。米政府はこれに影響を受け、天皇の訴追を回避するため動き始めた。フェラーズは日本側にも回避策を具体的に伝えた。それは東條英機に全責任を負わせることだった。東條もこれに応じた。
戦後、戦争責任を問われた昭和天皇。日本通の元GHQ高官フェラーズは天皇の訴追を回避するため日本側に働きかけを続けた。天皇との情報交換のため置かれた連絡係は宮内省御用掛で戦前はワシントンの日本大使館に勤務していた寺崎英成。一時期は2日に一度の頻度で会合。寺崎の妻はフェラーズの親戚で、これが分かってからは交流が一層密になった。寺崎を通じて天皇に質問を行い、天皇の無罪の立証を求めた。「戦争を終わらせる力があったならなぜ開戦を許可したのか」との質問を受けると、天皇は戦争に関する手記の作製に取り組むことを決めた。作業は計5回、8時間に及んだ。
戦後、戦争責任を問われた昭和天皇。米国は責任を問わない方針だったがソ連はそうではなかった。同じ頃、天皇は自身の独白録の内容をGHQフェラーズに伝えることを決めた。この過程で作られたのが英語版独白録。英語版は日本語版と構成や記述がいくつか異なる。日本語版は昭和3年の張作霖爆殺事件から昭和20年の終戦までが記述され、政治や軍事作戦への天皇自身の意見が語られている。政治家や軍人への人物批評も。英語版では日米開戦までの14年間に記述が絞り込まれている。冒頭には文書作成の目的として「戦争を終わらせる力があったならなぜ開戦を許可したのか、この疑問に答えるため」とある。
戦後、戦争責任を問われた昭和天皇。これについて答えた独白録は2つ、日本語版と英語版。戦争の原因について日本語版には「欧米による人種差別的政策に対する国民敵憤慨を背景に軍が立ち上がり抑えるのは用意ではなかった」とあるが、英語版にはこの記述がない。結論の欄で日本語版では「内閣が決めた開戦を許可したのは立憲君主としてやむをえぬこと」「拒否すれば国内が大内乱になる」とあるが、英語版では「私は囚人に等しく無力だった」「私の反対意見は絶対にもれない」と天皇の無力さが強調されている。
戦後、戦争責任を問われた昭和天皇。東京裁判の被告に入らず、マッカーサーの方針どおり天皇は訴追されなかった。開廷の2日後、フーバー米国大統領が来日。天皇の責任を問わない方針を進言したGHQ高官フェラーズに対し、天皇の独白録について「将来発表するほうが効果的」「緊急事態が発生すれば発表」と伝えた。米国世論の反発などを恐れたため。後に天皇はGHQの指示のもと「国民の統合の象徴」とされ、独白録はフェラーズのもとに置かれた。フェラーズは「天皇の退位は連合国の勝利」とみられないよう、昭和天皇の退位に反対した。東條英機らが死刑に処された日、昭和天皇は退位しない決意を書き送った。
昭和46年、昭和天皇が初訪米。訪れたのはアラスカの米軍基地。同年、天皇の戦争責任を問わない方針を進言したGHQフェラーズに日本政府から勲章が贈られた。外務省はその功績を「天皇陛下を戦犯より救出した大恩人」としている。この2年後、フェラーズは77歳で亡くなった。天皇の独白録作製にあたっての聞き取りはその後再開され、天皇の指示によって追加・訂正が繰り返された。結論の欄では戦争の原因について「軍備が充実すると使用したがる軍人の癖」「軍部の主戦論に付和雷同した日本人の国民性」とし、敗戦後の日本について「わが国民にとっては勝利して極端な軍国主義になるよりかえって幸福」とした。宮内庁はこれの存在を認めていない。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年10月23日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビNHKスペシャル 昭和天皇二つの「独白録」
ここまで、『NHKスペシャル 昭和天皇二つの「独白録」』を再放送。2019年に見つかった「拝謁記」は宮内庁長官・田島道治と天皇との対話の記録。独白録では敗戦までが語られていたが、これでは占領期以降の生々しい肉声が記録されている。日本が連合国占領から独立し天皇からお言葉を出されるにあたり、天皇は「私はどうしても反省という字をどうしても入れねばと思う」と発言。こ[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.