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「名古屋城」 のテレビ露出情報

お国自慢バラエティー「被告人 名古屋」。擬人化したマチが繰り広げる架空の法廷劇。郷土愛と「あるある」とお国自慢をデフォルメしてお送りする。名古屋は「有名物勝手に所有しがち罪」で愛知の他地域から提訴されている。原告側は「なごやめし22選の中で名古屋発祥と断定できるのは9つしかない」「徳川家康の生まれは岡崎市にもかかわらず名古屋まつりの行列に登場する」ことを罪状として訴えた。さらに有名地鶏の「名古屋コーチン」発祥の地は小牧市にもかかわらず、「名古屋」と名付けられている点なども挙げられたが、被告側は名古屋コーチン誕生の背景について反論。江戸時代幸喜から尾張藩では武士の内職として養鶏が盛んに行われており、名古屋コーチンの生みの親である海部荘平・正秀兄弟も旧尾張藩士。そもそも名古屋コーチンを生み出した技術の下地は名古屋にあると主張した。しかも「名古屋コーチン」という名前は明治23年以降京都や大阪で自然に発生したものであり、名古屋が自ら言い張ったわけではなく小牧市の知名度が足りないだけではないかと断じた。その後も家康の居城などをめぐり名古屋を責める原告側だったが、「今まで出身地を聞かれ名古屋と答えた人は?」と弁護側より質問されるとちらほら手があがった。
証人として三重の津が登場。エビの天ぷらが入ったおにぎり「天むす」は実は津市が発祥だと主張。昭和30年代、津市の天ぷら定食店の水谷ヨネが夫につくったのが始まりだという。昭和56年位津の店からのれん分けした名古屋の天むすが芸能人の間でも評判となり「名古屋名物」の印象がついてしまったため「なごやめし」になったのだと明かした。天むす発祥の経緯について弁護側から反駁はなかったが、名古屋はアメリカ有名雑誌の「世界の最もすばらしい場所50選」に京都とともに選出されたことをあげ「恩恵を受けたいと思いませんか」と原告へ質問。一度は納得しかける原告側だったが、雑誌に掲載されていたのは長久手の公園施設や知多のウイスキー蒸留所だったことが発覚。再び非難が集中するが、被告は2016年と18年に実施された都市イメージブランド調査では名古屋は「訪れたい街」の最下位だったと明かしアーティストに素通りされる「名古屋飛ばし」や運転マナーが悪いことを「名古屋走り」と呼ぶことなど名古屋のネガティブ面を次々に吐露。うなだれる被告に傍聴席から豊田が声をかけ「愛知県の製造品出荷額は昭和52年から44年連続日本一」であることや「名古屋市の道路率は全国20の政令指定都市でトップ」であることなどをあげ、名古屋発祥のものにはスーパー銭湯、漫画喫茶など楽しいものがたくさんあると話した。「本音では名古屋を頼りにしているのでは?」と尋ねられた原告は次々に肯定。弁護側と和解した。
住所: 愛知県名古屋市中区本丸1-1
URL: http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月21日放送 21:05 - 22:59 日本テレビ
秘密のケンミンSHOW 極!薩摩ブラックカルチャーの真実
鹿児島県は、黒豚・黒酢・黒糖など「黒」がつく食べ物が多い。鹿児島県民らに、黒のイメージについて聞いた。

2024年11月11日放送 4:30 - 5:50 日本テレビ
Oha!4 NEWS LIVE(ニュース)
衆議院議員選挙で当選した河村たかし前市長の失職に伴う名古屋市長選挙が告示され、7人が立候補を届け出た。市民税減税や名古屋城木造復元など河村市政の「継承」か「転換」かなどが争点。24日投開票で11日から期日前投票が始まる。元会社員の太田敏光氏、前副市長の広沢一郎氏、旅行会社社長・水谷昇氏、元大学講師・不破英紀氏、元自治大学校教授・鈴木慶明氏、前衆院議員・大塚耕[…続きを読む]

2024年11月8日放送 20:00 - 21:48 テレビ朝日
タモリステーション緊急!大谷翔平2024大全集
大谷翔平の今季の全HR&厳選盗塁集を紹介。46号は打球角度34度、最高到達点36mの特大の一撃。打率.310、54HR、13打点、59盗塁の成績で歴史的なシーズンを終えた。

2024年11月2日放送 6:00 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD! いちおし
都内には大規模な水害対策の施設が環状七号線の地下に神田川・環状七号線地下調節池がある。過去何度も水害をもたらした3つの河川の取水施設を環七の地下で結ぶ全長4.5kmの巨大地下トンネル。ドロップシャフトは、一定の水位を超えて流れた川の水の通り道。流れ込んだ水は螺旋状に流れ落ちる。トンネルの奥には本体のトンネルに繋がる。地上からトンネルの底まで57mあり、天守台[…続きを読む]

2024年10月30日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探訪)
江戸城の天守が完成してから3年後、名古屋城の築城がスタートした。だが、家康は小天守の建設を中止にしてしまった。太平の世を掲げる上で、城の防衛力を高めるというのは理にかなわない。豊臣家の滅亡後、幕府は戦を起こさない政策を打ち出す。武家諸法度では城の新築は禁じられ、修理にも制限がもうけられた。江戸城では馬出し、外枡形、連立式天守が尽く取り壊された。

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