奈良県大和郡山市。秀長は郡山城の城下の町割りを定め、経済を発展させる施策を行った。茶町や綿町など、扱う品の名前がついた町名が今も使われている。秀長は同業者を集めた町を作り、その地域に営業上の独占を認めた。藍染職人の町であった紺屋町にあてた秀長の証文が残っている。また、堺などの他の地域の商人たちも郡山に移動させた。後に「箱本十三町」と呼ばれたこれらの町は、税の免除の代わりに警護や火事の対応にあたる自治の仕組みが作られ、やがて江戸時代の郡山藩にも受け継がれていった。今も町を代表する金魚の養殖は、江戸時代から城下で始まったとされる。秀長が城下町に込めた思いは、今も大和郡山の町の中に存在し続けている。
