2024年、日本では「ある慣習」に悩まされていた。「謝罪」である。何が正解で何が不正解か誰もが悩んでいる。誰もが納得する究極の「謝罪法」はあるのだろうか。その答えを探すため国内屈指のノウハウ作家・水野敬也さんを訪ねた。究極の謝罪とは?に結論を出してほしいとお願いした。まずは謝罪を知り尽くす増沢隆太さんの元へ。数々の謝罪を分析してきた謝罪のプロである。謝罪が成功するポイントは伝え方。非日常的な謝罪はするべきではなくいかに自分が悪いか、いかに自分が愚かかを伝えるかどうかが大事で正当化したい自分との闘いである。そして事態を前に進めることが最優先である。謝罪反省会では万人が納得する究極の謝罪はあるのか問いが生まれた。模擬の謝罪会見を体験してみることに。企業広報・危機管理コンサルティング会社のエイレックスは年間200件、企業向けに謝罪の研修を実施していて、社員の4人に1人が元記者などメディア出身者で本番さながらの厳しい追及を生んでいる。謝罪会見の設定は暴力をふるい逮捕。模擬謝罪会見のフィードバック。自分と被害者、社会のニーズに向き合うことがポイント。模擬謝罪会見の夜、謝罪を難しくさせているものとは何なのか疑問が生まれた。水野さんは謝罪=感情だと考える。またそもそもなぜ、世間に謝罪するのか。水野さんは罰することが日本の社会において重要なことだと認識していると考える。最後、誰のためになぜ謝るのか。最後にどうしても聞きたい人物がいた。父親が殺害された假谷実。29年前、突然姿を消した父親。その後、オウム真理教により拉致・監禁されていたことが発覚した。遺灰は湖に捨てられていた。事件に関わったうちの3人は死刑執行された。假谷さんは謝罪の中には真実を語ることが含まれていると話す。真実にこだわる理由は父への想いからだった。水野さんは「究極の謝罪とは?」に対し「怒りの裏にある愛に気づく」。