TVでた蔵トップ>> キーワード

「日本軍」 のテレビ露出情報

産婦人科医の東野利夫さんは89歳。これまで1万3000もの命の誕生に関わってきた。戦時中の昭和20年4月、九州帝国大学医学部に入学。内科の屋上に高射砲が据え付けられているなど、大学構内も戦争一色になっていた。同医学部は軍から積極的な協力を求められていて、このころ捕らえられた米兵の捕虜を人体実験に利用した。
戦時中の昭和20年、米兵の捕虜を人体実験に利用した九州帝国大学。その日は5月17日。当時大学1年生の東野さんが論文の整理をしていたところ、中庭に若い米兵が連れてこられるのを目撃する。後を追ってみると、そこでは将校の命令で人体実験が行われていた。この日2人の米兵が死亡したが、声を上げる者は誰ひとりいなかった。実験は4日にわたって行われ、計8人の命が奪われた。
戦時中の昭和20年、米兵の捕虜を人体実験に利用した九州帝国大学。軍は終戦後ただちに隠蔽工作を始めたが、GHQはこれを見破り九州大学を調査。21年、捕虜虐殺の容疑で医師への尋問が行われた。その医師は拘置所内で自殺。手術に関わった医師への出頭命令はその後も続き、現場で加担させられただけの東野さんにも及んだ。当時医学生だったこともあり起訴は免れた。23年、手術に関わった医師などの裁判が行われた。医師らは人の命よりも軍の命令を優先したことを認め、14人全員が有罪判決を受けた。絞首刑3人、終身刑2人、ほか9人は3年~25年の重労働。現場にいた看護婦は日本女性で初の戦犯となった。
戦時中の昭和20年、米兵の捕虜を人体実験に利用した九州帝国大学。裁判で医師らが裁かれたあと医学部は反省と決議の会を開き、「医師としての天職を守り抜くには国家の権力や圧力に屈従しない」と総括。当時医学生で実験に加担させられた東野さんは、この経験から卒業後も医師になるべきかを葛藤。迷った挙げ句、命の誕生を助けられる産婦人科医になった。35歳で福岡市内に医院を開業も、事件のトラウマに悩まされた。
戦時中の昭和20年、九州大学による米兵の捕虜を利用した人体実験に加担させられた東野さん。戦後もトラウマが消えず、事件に向き合うことを決意。まず調べたのは米兵捕虜らが九大に来ることになった経緯。一部の住民らが「捕虜は殺すな」と強く主張していたことがわかった。東野さんの働きかけいにより、このB-29搭乗員などを追悼する碑が作られた。事件に関わった医師ら14人はGHQによる恩赦を受けたが、自ら積極的に事件を語ることはなかった。14人全員がすでに亡くなっている。
戦時中の昭和20年、米兵の捕虜を人体実験に利用した九州帝国大学。当時看護婦長だった筒井シズ子は有罪判決を受け、女性初の戦犯として世間の注目を集めた。出所後は逃げるように日本各地を転々とし、最後は東京郊外の病院で看護婦長を務めた。生涯独身だった。当時の同僚いわく、病院では常に患者のことを第一に考え周囲からも慕われていた。68歳で引退したあと、故郷・北九州に戻った。全身にがんが転移し危篤状態となり、亡くなる間際には「私だって人間」と繰り返し言っていた。
戦時中の昭和20年、米兵の捕虜を人体実験に利用した九州帝国大学。当時医師だった久保敏行は有罪判決を受け、釈放後は外科医が不足していた福岡に外科医院を開業した。以来30年間、地域医療に尽くした。座右の銘は「善人にあらずんば良医にあらず」。肺がんで余命半年とわかったとき、長女に事件のことを語り始めた。長女いわく、「絶対にやってはいけないこと」と話していた。当時描いた赤いバラの絵にも哀悼の意が込められているという。
戦時中の昭和20年、九州大学による米兵の捕虜を利用した人体実験に加担させられた東野さん。戦後は事件の真相を追い求め続け、昭和55年には捕虜になるのを免れ終戦後は祖国に戻ったマーヴィン・ワトキンスと面会。対話のなかで東野さんが最も心を動かされたのは、ワトキンスが「戦争は自分の一生の苦しい体験である」ということ。東野さんも「戦争は理屈がどうであれ悲惨と愚劣以外に何もない」と話す。
戦時中の昭和20年、九州大学による米兵の捕虜を利用した人体実験に加担させられた東野さん。九州大学医学部の歴史館開設にあわせ、生涯をかけて集めてきた資料の提供を自ら申し出た。九大側はこの事件についての展示を認めたが、東野さんの資料の展示は見送られた。館内では事件についての展示は2点のみ。後日、自らの医院で事件についての展示を始めた。東野さんは「戦争がいかに人間を狂わすか ぜひこれを参考にしてもらいたい」など話す。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年10月23日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
旧日本軍とアメリカ軍が激しい地上戦を繰り広げた硫黄島。両軍あわせて3万人近くが命を落とした。戦場となる前の硫黄島は活気に溢れ、約1000人が暮らし、さとうきびの栽培や漁業などで生計を立てていた。森下佳代子さんたち元島民はアメリカ軍の上陸が迫る中、旧日本軍による強制疎開で慣れ親しんだ地から離れることを余儀なくされた。森下さんは10人きょうだいで10歳まで島で暮[…続きを読む]

2026年9月22日放送 8:45 - 9:58 NHK総合
チコちゃんに叱られる!(チコちゃんに叱られる!)
「鳩時計」の鳥が鳩なのは可免さんが平和を願ったから。時刻を知らせる鳥はもともとはカッコウで、鳩時計と呼ぶのは日本だけで、鳩時計のほとんどは海外製のため鳴き声をよく聞くと鳩ではなくカッコウの声となっている。カッコウ時計は1738年にドイツで作られ、カッコウは幸運を運ぶ鳥としてラッキーアイテム的な存在だった。日本ではカッコウ時計を三橋可免さんが鳩時計と名付けて販[…続きを読む]

2026年9月4日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース列島ニュースアップ 鳥取局
太平洋戦争戦時中鳥取県西部にあった旧海軍基地ではパイロットを目指す若者たちが訓練を積み戦争末期にはいわゆる特攻で命を落とした。若者たちを支えたのは倶楽部と呼ばれる基地周辺の一般家庭だった。千葉・白井で暮らす滝沢さん(91)の鳥取・米子市の実家には戦時中に旧海軍の依頼で食事や部屋を提供し旧海軍のパイロットを目指す練習生らが定期的に訪れていた。旧美保海軍航空隊で[…続きを読む]

2026年8月28日放送 19:50 - 20:17 NHK総合
首都圏情報 ネタドリ!(首都圏情報ネタドリ!)
11年前に93歳で亡くなった水木しげる。多くの作品の中で3度も漫画にしたほど思い入れが強かったのは白い旗の物語だった。舞台は日米の激戦地・硫黄島。日本軍の兵士たちは厳しい戦況の中でも降伏を許されず死ぬまで戦うことを命じられていた。今回のアニメ制作にあたり業界の第一線にいるプロフェッショナルたちが集まった。監督を務める佐藤千春さんは戦記アニメの制作は初挑戦。ま[…続きを読む]

2026年8月14日放送 23:30 - 23:40 NHK総合
時論公論(時論公論)
8月15日は81回目の終戦の日。いま世界では第二次世界大戦後最多、60の武力紛争が起きている。1932年、物理学者アルベルト・アインシュタインと心理学者ジークムント・フロイトは「ひとはなぜ戦争をするのか」というテーマで往復書簡を交わした。当時は第1次大戦が終わり国際連盟が作られていたが戦争の影が忍び寄る不穏な空気。 国連はアインシュタインを指名し、「今の文明[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.