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「太平洋戦争」 のテレビ露出情報

最初は父方のルーツを特集。代々農家で兼業農家で、米や畑作、養蚕などをやってきたという。父に話を聞くと、元々は広野という集落の出ということで住人に話を聞いた。また地元の歴史資料館では町田氏は源平合戦の落人だったという記述があった。また楯巴さんは先祖が木曽義仲の家臣だったが、その楯氏と町田氏は元々は同じ一族だったと語った。つまり町田啓太の祖先は木曽義仲に仕えた源氏の武士だということがわかった。
町田啓太の祖父の父は戦争から帰ってきて40歳で死去し、さらに母も43歳で死去した。中学を卒業した祖父の町田七郎は妹たちを支えるために東京に出稼ぎに出た。町田七郎は修行して帰郷し、1961年に光江とお見合い結婚した。そして翌年に町田晃一が誕生した。その後、町田七郎は地元に就職して様々な工事に携わっていったという。長男の町田晃一は宇都宮大学に進学して、後に妻になる齊藤敦子と出会ったという。町田啓太は祖父について「本当に頑固だった」と思い出を語った。
次は母方のルーツを特集。先祖の齋藤齋は東江神社の宮司だったという。その息子の齋藤久米治は中学教師の免許を取得するなど非常に有能な人物だったという。さらにその息子の齋藤珍彦は一般的なサラリーマンよりも給料が多く充実していたという。しかしその後、震災に遭い、会社を退職して地元の役場に勤務するようになった。さらにその後、昭和37年に町田啓太の母である齋藤敦子が誕生した。そして齋藤敦子は宇都宮大学に進学したという。
昭和55年に宇都宮大学に入学した町田啓太の父は、そこで母の齊藤敦子と出会い、一目惚れしたという。2人は同じ部活動で、卒業後は2人共教師になり、昭和61年に結婚した。その4年後に町田啓太が誕生した。両親が働いていたので、町田啓太は父方の祖父母に面倒を見てもらっていたという。そして町田啓太はプロダクションに所属して芸能の道に進んだ。スタジオでは町田啓太が「家族にちゃんと見てもらえてた」と感想を語った。
近代日本の礎を築き大正天皇に御膳教授もした齋藤久米治について、今回の取材で齋藤久米治が小学校の新築費を寄付したり奨学金もあげていたということがわかったという。また齋藤久米が校長を勤めていた栃木県立佐野東高等学校には齋藤久米治の言葉が教室に掲げられていると伝えた。また今回の取材で町田七郎が書いた人生句も見つかったという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月26日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
パラオのペリリュー島は太平洋戦争の激戦地として知られる。当時日本の統治下にあったペリリュー島に米国軍が上陸したのは1944年9月。2カ月余におよんだ戦闘で日本兵1万人余の殆ど、米国兵1500人超が死亡。補給もない中、玉砕も自決もゆるされない徹底的な持久戦。日本兵は本土決戦のための時間稼ぎを課されていた。今月15日ペリリュー島で行われた戦没者を悼む式典、日本と[…続きを読む]

2024年9月25日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(沖縄局 昼のニュース)
宜野湾市の伊佐地区では23年前、沖縄戦や太平洋戦争の戦没者130人余りの名前を刻んだ石碑を建立した。毎年この時期に慰霊祭を行っていて、23日は沖縄戦の遺族など約50人が参列した。この中では、地元の子どもたちが平和への祈りを込めて折った千羽鶴を手向けたほか、参列者一人ひとりが焼香して犠牲者を悼んでいた。伊佐地区は戦後、かつての集落などが強制接収され、米国軍基地[…続きを読む]

2024年9月23日放送 13:05 - 15:52 NHK総合
ニュース(ニュース)
267票の野田佳彦氏・206票の枝野幸男氏が決選投票へ向かう形となった。野田氏は充実した論戦を交わすことができ、教育の無償化に取り組んでいきたいと言及。子供が親を選べない不運を嘆いた「親ガチャ」という言葉が流行することはとても悲しいことと言及し、学ぶチャンスがない子どもたちがいる現状は変えていかなければならないとしている。旧民主党政権化で高校授業料無償化が導[…続きを読む]

2024年9月20日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
来年で終戦80年となるのを前に放送される太平洋戦争真っただ中にタイムスリップした家族を描くドラマ「終りに見た街」。家族は、兵士から怪しまれ身の危険を感じたことから疎開を決意する。同じく過去の世界に迷い込んだ知人の親子とともに生き抜いていく。番組が注目したのが世代間ギャップのシーン。大泉洋さんが演じているのは戦争経験のない脚本家。今回脚本を担当した宮藤官九郎は[…続きを読む]

2024年9月20日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(終りに見た街)
ドラマ「終りに見た街」の主演・大泉洋さんがスタジオ生出演。山田太一さんの名作「終りに見た街」を宮藤官九郎さんが脚本を手掛けて令和によみがえらせた。大泉洋さんはある日突然、一家で家ごと太平洋戦争真っただ中の昭和19年にタイムスリップしてしまう脚本家・田宮太一を演じる。ドラマの見どころを大泉洋さん「(宮藤官九郎さんの脚本は)重たいテーマの中にもしっかり笑いも入っ[…続きを読む]

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