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「安史の乱」 のテレビ露出情報

西暦804年、中国を旅していた空海。最先端の仏教を学ぶため遣唐使に参加したが船が嵐に巻き込まれ400km南に流され、漂着後に川や山を越えてようやく本来のルートに入り、運河を通って長安を目指した。空海たちが通った運河のほとんどは長い歳月を経て埋もれてしまっている。ルートをたどると大きくて四角い島・商丘古城が現れる。唐の時代には運河が通り商業都市として栄えていたが今は住民は移住させられ、島は丸ごと歴史テーマパークにつくりかえられるという。
畑の脇にも運河の名残が。半世紀前の安史の乱で中国北部一帯戦場となり農業が衰退したため長江流域から運んでいたという。開封は空海が訪れた頃はベン州と呼ばれ物流の拠点として繁栄した。その中心部にある大相国寺に空海が足を運んだと地元では伝えられている。開封には中国で最高の塔といわれ“鉄塔”とも呼ばれている塔がある。鉄のような色だが、特殊な工程で焼かれたレンガが使われている。
開封を後にして進むと見えてくる黄河。古い渡し場・玉門古渡は東西南北を結ぶ水路と道路の要衝で多くの商人が集まった。
黄河の支流、洛陽の郊外にある龍門石窟。岩肌に開いた無数の穴の一つひとつに岩から彫られた仏像が鎮座していたが、破壊や盗みが繰り返され多くが失われた。中央にあるひときわ大きな仏像・盧舎那仏は万物の母であり森羅万象の根源であり宇宙の真理そのものとされている。仏教は1世紀ごろ、後漢の時代に中国に伝わり、その後皇帝が仏教を重んじたため洛陽で盛んに仏像が造られた。
黄河三峡では今世紀始めに下流でダムが建設され、深い谷が水に沈んだ。長江の有名な三峡になぞらえて黄河三峡と呼ばれている。空海の時代には深い谷底に黄河が流れ、ほとりには小さな村が数多くあったと思われる。岸から山頂まで耕された段々畑ははるか昔から農地を切り開いてきた人の営みを物語っている。
さらに西へ進むと黄河はここで90度折れ曲がる。天然の堀と城壁に挟まれたこの地・潼関は古くから軍事の要とされてきた。今では潼関の関所を蘇らせるテーマパークが建設中。長安を目指す旅人はここで黄河と別れ運河を進む。東シナ海の荒波を越え、命からがら大陸にたどり着き2000kmを旅してきた空海。長安までもう一息。

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