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「小和田恒外務次官」 のテレビ露出情報

31年が経ち今日公開された「天皇皇后両陛下の初訪中」をめぐる外交文書の内容。文書作成から30年以上が経過したものの一部を毎年公開しているが、今回公開された外交文書は17冊、約6500ページに及ぶものだった。その中には1992年10月23日から28日にかけて初めて中国を訪れた、当時の天皇皇后両陛下についての記述もあった。1991年に当時の海部総理が訪中した際、72年の日中国交正常化から20年の節目ということで、92年に両陛下の訪中を中国側から要請があった。日中の思惑として、1989年の天安門事件で国際社会から批判され経済制裁などで苦境に陥っていた中国側は、両陛下の訪中を制裁解除の突破口とし、日本側は戦争の過去を精算し、新たな関係を築きたいというものがあった。外交文書には「本件はまだ決まった話ではないが、渡辺大臣が1月の訪中時に真剣に検討すると言い残してきた以上、中国側は本件の実現を強く期待している」などと書かれている。文書には「外務省としては謝罪のみの訪問ではなく、将来をみた未来志向の訪問たるべき」などの注意点も書かれていた。
中国の思惑として制裁に加えて、冷戦が終わり孤立しているが、南シナ海に海洋進出を始める時期で、日本との関係を突破口としてアメリカとの関係を良くしたかった。G7の中で天安門事件からいち早く日本の首相が訪中した意図として、中国に投資をして中国を豊かにし、市民社会を形成させ、民主化させようとしたのではと宮家さんは言う。この日本の動きで、他の西側諸国もついてきた。萩谷さんは「昭和天皇が崩御し、戦争責任とは関係ない天皇が生まれたことも訪中を後押しした」などと語った。天皇訪中の際にアメリカは許容していたのかについて宮家さんは「91年は湾岸戦争があり、アメリカは中東ばかりを見ていた時期。またある程度日本の考え方も尊重していたが、アメリカから承諾を得るとかそういった状況ではなかった」などとした。また外交文書に残されている文書がどうピックアップされているかについては、政策決定者の発言はよほど問題がない限り、どんな内容でも残していたとした。
1992年に天皇皇后両陛下の秋の訪中がほぼ固まったとの報道がされ、自民党からは第2次世界対戦に関する日本の責任論が噴出する可能性があるとの慎重論が出た。訪中実現のため当時の谷野作太郎アジア局長・渡辺美智雄外務大臣らが根回しに奔走していた記録もある。谷野作太郎アジア局長は党四役等に説得を行った上で一番心配なのは宮沢総理の慎重な態度であるとしていた。その後4月に宮沢総理は天皇陛下の訪中で党内が収まらなければ自分が責任を取ると指示を出していた。宮家邦彦は官僚だけで議員を説得するのは危険であるが昔は今と比べて官僚の裁量の余地が大きかった部分がある等と話した。天皇陛下の訪中において最も注目されたのは天皇陛下のおことばであり、その言葉は予め中国側に対し極秘に提示して中国側の意見を聞く動きがあったと外交文書に残されている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年4月11日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.5時コレ
今日午後4時頃、愛子さまは上皇ご夫妻に学習院大学卒業と日本赤十字社への入社の挨拶をする為、赤坂御用地の仙洞御所を訪問された。挨拶は当初、先月20日の卒業式直後の予定だったが、愛子さまが風邪をひかれ日程が再調整された。上皇ご夫妻に会われるのは元日の新年の挨拶以来となる。昨夜は祖父母にあたる小和田恒さん夫妻らがお祝いの為、皇居の御所を訪れた。

2024年4月11日放送 15:49 - 19:00 TBS
NスタNEWS そのサキ!
愛子さまは午後4時ごろ、東京港区の赤坂御用地に入られた。上皇ご夫妻に大学卒業と就職を報告するためで愛子さまは車のなから集まった人に手を振り笑顔で会釈された。上皇ご夫妻にあいさつされるのは3ヶ月ぶりである。学習院大学の卒業や日赤での勤務の様子を報告された。宮内庁によると当初、愛子さまは先月20日の卒業式直後に上皇ご夫妻にあいさつされる予定であったが卒業式前に風[…続きを読む]

2024年4月11日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおび!JNN NEWS
天皇皇后両陛下の長女・愛子さまがきょう、上皇ご夫妻に大学卒業と就職のあいさつをされる。これに先立ち、皇后・雅子さまの実家のご家族が就職などのお祝いのため皇居を訪れた。関係者によると、愛子さまが日本赤十字社に就職されたことからお祝いのため皇后さまの実家のご家族が御所に招かれたという。皇后さまのご家族は御所におよそ2時間滞在し、天皇ご一家と夕食をともにしたものと[…続きを読む]

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