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「平澤善吉」 のテレビ露出情報

長野・中川村には予科練の志願者をどう集めていたかを明かす資料が残されていた。記されていたのは国から村に割り当てられたノルマだった。志願と言いながら、市町村には目標の達成が求められていた。資料を残していた役場職員の平澤善吉は、学校とともにノルマを果たそうとしていたことを日記に書いていた。福岡の朝倉中学校校長・石飛朋一は生徒を集めて志願を呼びかけたあと、「私にも子供が二人この中に居る」「これらの意志は既に聞いている」「二人共直ちに応じて呉たので安心をした」と続けた。我が子を送り出すという校長の言葉に、生徒たちは次々と手を挙げた。その数は生徒の8割にのぼった。教師の中には教え子を戦地に送り出したくないと口にする者もいた。親や教師たちが抱える葛藤をよそに、新聞は石飛校長の学校で志願者が続出したことを大々的に報じた。1943年秋、学徒出陣が決まりこれまで徴兵が猶予されていた大学生が戦地に送られることになった。於保の学校では、予科練に入った卒業生が生徒たちに入隊を勧めた。その卒業生に湧くクラスの生徒たちの興奮に、予科練を志願するつもりがなかった於保は肩身の狭さを感じていた。

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