源氏と蝦夷が戦った前九年合戦で、藤原清衡の父親は囚われの身となり、源氏は苦痛を長引かせるために切れ味の鈍い刀で斬首した。約20年後、蝦夷同士の争いが勃発。朝廷に働きかけ、介入を試みたのが源義家。藤原清衡は父の仇敵ともいえる源氏に従い、籠城戦には兵糧攻めで対処した。女性や子どもたちが降伏を申し出るも、源氏は鏖殺した。主だった敵将は首を刎ねられ、晒された。藤原清衡は道長の孫にして、関白だった藤原師実に金や馬などを献上し、義家が陸奥守にならないよう工作した。清衡は中尊寺建立に際して、「戦で亡くなった者は数え切れない。そのすべての霊を浄土に導いて下さい」と供養文を奉納した。