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「徳宗」 のテレビ露出情報

西暦804年、黄河流域を西へと旅していた空海。後に僧侶となる人物。最先端の仏教を学ぶため遣唐使に参加。沿岸部から長安を目指していた。その距離は2000km以上。残り100kmのところにあるのは華山。険しい峰々は仙人が住むと信じられ、多くの修行者を引き寄せた。今は観光客にも開放されている。
西暦804年12月23日、沿岸部から都を目指していた空海たちは長安に到着。日本を発って5ヶ月間。今の城壁は唐の時代のものを基礎に明代に築かれたもの。現存する世界最大の古代城壁。日本の平安京のモデルにもなった。人口100万は当時として世界最大。「大明宮」は唐の権力の中心となっていた施設。現在、当時の城門や宮殿の土台が復元されている。正殿「含元殿」は外国使節の謁見が行われた場所。空海はここで皇帝に会ったと記録されている。「大雁塔」は唐の時代から残る建築物。インドの貴重な経典や仏像を保存するための施設だった。これを持ち帰ってきた玄奘は往復3万キロを17年かけて旅した。
西暦804年、長安を訪れていた空海。当時通っていた「大興善寺」は密教の中心地。外国人僧侶も多くいた。空海の源流であるインドからやってきた僧侶たちがこの寺を拠点に活動していた。空海は数か月でサンスクリット語を習得。密教では「悟りの世界を言葉で表すことはできない」とされている。
西暦804年、長安を訪れていた空海。到着して半年後に訪ねたのは「青龍寺」。最高位の密教僧で多くの弟子を従える恵果に仕えた。空海を一目見て「後継ぎの器がある」と見抜き、多くの弟子を差し置いて2ヶ月のうちに儀式を行い正式な後継者に認めた。その後すぐに没した恵果。最期に言い残した言葉は「すぐに日本に持ち帰り広めなさい それが私への恩返しになる」。翌年、遣唐使の船が来る。空海がもしその機会を逃していれば30年は日本に帰れなかった。程なくして中国では仏教への大弾圧が始まる。密教は空海の旅のおかげで途絶えなかった。

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