TVでた蔵トップ>> キーワード

「戦時救護班」 のテレビ露出情報

多くの従軍看護婦が派遣されたのは現在のミャンマーで、日本軍は同地での資源獲得、連合軍の中国への補給路を遮断することを目的としていた。現地の人の協力も得て首都ラングーンを占領し、北部へと侵攻を開始。そして昭和17年に戦時救護班の第一陣として48人がラングーンに到着し、各地には兵站病院が置かれた。だが看護師たちはデング熱といった熱帯特有の風土病にかかり、帰国を余儀なくされる者もいるなど治療に支障を来した。更に兵士たちもマラリアに苦しみ、陸軍省の東條英機陸軍大臣は戦力損耗だと懸念。対するイギリス軍は医薬品の補給体制を整えていた。
日本軍はマラリアの特効薬としてキニーネを外国製に頼ってきたが、開戦によって輸入はストップ。永井日出子さんは上官以外の兵士には飲ませることができないほど貴重な薬だったと語った。ビルマ北部ではイギリス軍が反撃を開始し、頼藤ツルさんは重篤な負傷兵を看護した。看護婦達にとってはこれまでにない事態に直面し、南方戦線での医療責任者だった青木九一郎は兵站病院の増設を求めた。その要求は叶えられることなく戦線は拡大していった。
昭和19年3月、日本軍はビルマから国境を超えて東インドにあるイギリス軍の拠点だったインパールを強撃する作戦を開始。標高4000mのアラカン山脈が立ちはだかる中、十分な補給もないまま山越えの強行軍を強いられた。兵士たちは飢餓、病に加えて激しい攻撃に曝され、従軍看護婦だった長谷部鷹子さんは自分が看護した多くの兵士を看取ることとなった。更にビルマの輸送路はイギリス軍に抑えられ、前線に設置された野戦病院で治療を受けた傷病兵を復帰させるという命令が下り、婦長だった吉田八千代さんはその対応に当たった。兵士も逆らうことなく、命令に従おうとしていたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年7月24日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ女たちの太平洋戦争 従軍看護婦・激戦地の記録
昭和16年に太平洋戦争が開戦し、東南アジア各地に戦線は拡大していった。それとともに日本赤十字社には救護班の派遣が要請され、頼藤ツルさんは20歳で従軍看護婦となった。戦時中は軍の求めに応じて看護婦を戦地に派遣することが求められ、その多くは20代前半ばかりだった。中には既婚者や子どもをもうけている人もいて、西内清子さんの知人が乳飲み子を置いて行ったことに涙が出た[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.