手塚さんは小学2年の頃から少女モデルをしていて、弟のほうが先にモデルをしていた。モデル時代は母が弟を、祖母が手塚さんを送り迎えしてくれた。祖母が大きな声で人に道を尋ねるのが恥ずかしかったが、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と教わった。祖父は大工の棟梁だった。母は人気者で、同級生は手塚さんではなく母に会うために遊びに来ていた。当時、お弁当に毎日入っていたという手紙をスタジオで披露した。手塚さんが作るお弁当には手紙を入れていないが、手づくりのお弁当にしていた。高校生の頃、フランスロケで気に入ったオニオングラタンスープを作って振る舞った時、ひどく失敗して家族の誰も食べないのに父は「美味しい」と言って食べてくれてお腹を壊してしまった。手塚さんが人生1番したかったことは子供を産むこと。長男は焼き鳥屋で修行し、来店した際にはこれまでに聞いたこともない大きな声で「いらっしゃいませ」と言われて驚いたという。