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「暁と夕の詩」 のテレビ露出情報

立原道造の詩集は1937年の初版以来永遠のロングセラーに。1914年に生まれた立原道造は荷造り用の木箱製造を営む生家に生まれ、幼い頃かから文才と画才に長けていて中学では芥川龍之介以来の秀才と誉れ高く、高校生になると小説家の堀辰雄に啓示するように。東京帝国大学の建築学科に入学し、同じ学部の一級下には丹下健三がいた。在学中には、建築学科の奨励賞の辰野賞を三年連続受賞し卒業後には大手建築事務所に就職すると恋に落ちたと言う。さらにその間にも詩集を出版した。その最中結核になり心も体も蝕まれていく中で、夢見たものはヒアシンスハウスの建設だった。そのヒアシンスハウスは南東の角からは窓から見晴らしが良く、窓を背に振り返れば思いの外の奥行きで、作り付けの書棚が壁に沿って伸びていて、椅子には背もたれに十字のデザインが施されている。またベットもあるが内田は外観より中のほうが広く感じるという。
立原道造のスケッチを建設用の図面に起こした津村さんは週末はここで暮らすが仲間たちともワイワイしたいという思惑があるという。扉が内開きになっていて、部屋に入った時にプライベートの方は見えないような仕組みになっているという。最初のスペースは友人との歓談の場所になっていてそこを過ぎると書斎用の机の先にプライベート空間がありわずか5坪の中に絶妙なゾーニングがされている。この様な似た建物はフランスのカプマルタンにもあり、休暇小屋を作ったのは20世紀の建築の巨人のル・コルビュジェ。近代建築の幕開けとなった画期的な住宅を発表し、独特なフォルムの中に幻想的な祈りの空間を作りあげた。それらとは不釣り合いな質素な佇まい。日本にはそのレプリカがある。埼玉県行田市のものつくり大学のキャンパス内には休暇小屋のレプリカが。狭い廊下を抜けると最小限のものしかないが居心地の良さを感じると内田は答えた。休暇小屋はル・コルビュジェの終の棲家になった。一方でヒアシンスハウスは立原道造はみることも叶わなかったという。

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