チーム岡田の雑学「葛飾北斎は75歳からヤンキーみたいなペンネームで活動していた」。富嶽三十六景が世界的に有名な江戸時代を代表する浮世絵師。時代考証家の山村さんによると、そもそも葛飾北斎はたくさんのペンネームを使っていて、葛飾北斎は多くあるペンネームのひとつで5年間くらいしか使っていない。生涯のうちにペンネームを弟子に売ってお金を得ていたという逸話もある。20代の頃は「春朗」。30代半ばになると「宗理」と名乗っていて、60代になると川柳もたしなみ始め、そこでつけた名前が「卍」。75歳でつけた名前が「画狂老人卍」。その名前は富嶽三十六景に続く作品である富嶽百景に書かれていた。画というものを狂ったように追求する老人という意味。芸術人生の集大成として晩年まで名乗っていたという。ペンネームは30回ほど変えている。本名は、中島鉄蔵。葛飾北斎の名前が有名な理由は、「北斎 改 〇〇」と記載されるようになり、没後「北斎」の名前が有名になったという。引っ越しの回数は93回といわれており、片付けができない性格で家を汚しては引っ越していたという。有岡に響いた雑学は、チーム出川。