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「旧両郷中学校」 のテレビ露出情報

大島が数十年ぶりに登校。通学路では野犬が出ていて良く追いかけられていたという。当時のバスの運転手は大島のことを「ジャンボ」と呼んでいた。子供の時は引っ込み思案で、田んぼに落とされるなどのいじめを受けていたという。まずやってきたのは大田原市立両郷中央小学校。校庭には昔砂場があり大島は埋められた経験がある。その際になんで笑うのと聞いたら、泣くとおもしろいからと言われたという。その際に笑われているんじゃなく、笑わせているんだと変換することで楽になった。これが芸人人生の始まりだった。小学生時代はソフトボール部で活躍していて、ファーストで4番だった。関東大会に出場した際には20対1で負けたが、1点は大島のホームランだった。通学路では近所の人と再会。町の自慢だと言われ、大島のサインが書かれた母の写真を見せてくれた。
中学生時代はバスケ部だった。中学校は現在廃校となっており、芸術活動を支援する施設となっている。当時、牛を連れた男性が藤田先生という方に求婚しに来たことがあったという。大島はバスケの試合会場で他校の男子に一目惚れし、男子が捨てた弁当の箸を持って帰った事があったという。
高校時代は原付バイクで登校。その際に謎の生物とすれ違ったことがあったが、数年後にテレビを見ていてアルパカであったことが判明した。那須のアルパカ牧場から逃げたのではないかとのこと。通っていた栃木県立黒羽高等学校へとやってきた。教室での思い出は男子が机に彫刻刀で掘っているのを注意したらナイフで脅されたことがあり、その際は小林先生という女性の方が庇ってくれた。高校時代はいじめる人もおらず楽しい毎日だった。当時はスタイリストを志していて、友達が本の後ろに載っていたNSCの募集を見せてくれたため志願。願書は小林先生が考えてくれたという。小中高と一緒の親友・久恵さんが合流。上京したのも同タイミングで2人で暮らしていて、22歳で結婚した時には3人で暮らしていた。久恵さんが大島の通知表をつけてくれた。仕事の評価は5で、総合評価として「家族よりも長い時間を過ごしていた。尊敬する人を面接で聞かれたら大島と答える。これからも応援している。」などとした。大島は通学路について「人生そのもの」などと話した。

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