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「森潤三郎」 のテレビ露出情報

江戸時代の1975年には「万宝料理秘密箱」という書物があったが、この時代に「卵かけご飯」はまだ記載されていなかった。生まれたのは1872年のことでジャーナリストであり挑戦意欲旺盛な人物として知られた岸田吟行が生みの親だといい、当時は塩と唐辛子という味付けで「鶏卵和」と呼んで楽しんでいたという。このグルメを醤油で楽しんだのは森鴎外だといい、当時鶏卵は400円という値段であったことで富裕層のグルメだったという。1955年になるとアメリカから養鶏技術が導入されると卵の供給量は昭和30年の71個から昭和40年には221個まで増加し、価格も400円から32円に値下がりしたことで庶民の食となった。さらなる転機は2005年のことで、島根・雲南市で日本たまごかけごはんシンポジウムというイベントが行われ、シソの葉の上に柴漬けを散らし、卵とかぼすを乗せた卵かけご飯が大賞に選ばれるなどしている。
昭和時代は卵をご飯にかけて醤油で味わうシンプルなものだったが、卵が手軽に楽しめるようになるとバターしょう油やめんつゆなどを合わせて食べるようになっていく。その後は相性の合う食材をさらに盛っていく傾向もみられ、めんつゆの場合は鰹節・ねぎ・紅生姜など、バターしょう油の場合はチーズ・バジル・ブラックペッパーなどを合わせるようになり、納豆とカレーを合わせるという食べ方もみられるようになった。その一方で醤油だけでいただく食べ方をめぐっても、卵かけご飯専用しょう油という楽しみ方も生まれている。2007年ごろに入ると「TKG」と呼ぶ傾向が生まれ、メディアへの露出が増加するとともに「TKGのうた」というものも生まれている。DAIGOによる「DAI語」もTKG呼びに影響を与えたものとみられる。

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