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「横断性脊髄炎」 のテレビ露出情報

水の女王と呼ばれたパラ競泳選手 成田真由美。猛練習で鍛え上げた上半身を使った豪快な泳ぎでパラリンピック6大会に出場。日本人選手最多となる15個の金メダルを獲得した。昭和45年、神奈川県川崎市に生まれた成田さんは幼い頃からスポーツが大好きで活発な少女だった。しかし中学生の時に横断性脊髄炎を発症して両足が麻痺し車いす生活になった。転機は23歳の時で友人から水泳に誘われた。子供の頃は全く泳げなかったが恐る恐るプールに入ると足が動かなくても水の中なら前に進めるとなり、水泳に夢中になりパラリンピックへの挑戦を決意した。ところが車いすを理由にいくつものスイミングクラブから入会を断られた。ようやく指導してくれるコーチと出会いレ練習を開始するが成田山は体温を調節する機能が十分に働かず、激しい運動をすると体に熱がこもってしまう。冷水で直接体を冷やしながらの練習となった。初めて挑んだアトランタパラリンピックでは成田さんは2つの金メダルを獲得し、さらに生涯のライバルであるドイツ代表のカイ・エスペンハイン選手と出会った。エスペンハイン選手に勝ちたいとなり、成田さんはより過酷な練習を取り入れた。足にバケツを結びつけ水の抵抗を増やすことで腕の筋肉を徹底的に鍛え上げようというものである。そして迎えたシドニーパラリンピックでは再びエスペンハイン選手と相まみえ、エスペンハイン選手の持っていた世界記録を3つも更新し金メダルを6個獲得した。そのわずか2年後にエスペンハイン選手34歳で亡くなり、シドニー大会のあと引退も考えていた成田さんだが次のアテネ大会を目指そうと決意した。平成16年のアテネパラリンピックでエスペンハイン選手への思いを胸に全力を尽くし7つの金メダルを獲得。そのうちの6種目で世界記録更新という快挙を成し遂げた。成田さんは障害者への理解を広げる活動にも積極的に取り組み、原点にあったのは日常生活で感じていた思いである。そんな中決まったパラリンピック東京大会となり、成田さんにとっても朗報だった。東京大会を通じて世の中の心のバリアフリーへの関心をさらに高めたいとなり、成田さんは厳しい練習と並行して組織委員会の理事にも就任。大会を成功させるために力を尽くした。51歳で迎えた東京パラリンピックでは成田さんは6位入賞を果たした。日本の障害者スポーツをリードした成田真由美さんはどんな困難にも立ち向かい目標に向かって全力で泳ぎ続けた55年の生涯であった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年3月10日放送 15:49 - 19:00 TBS
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ミラノ・コルティナパラリンピックで日本勢メダル第一号が誕生。アルペンスキー女子スーパー大回転の村岡桃佳。4歳で脊髄が炎症を起こす神経の病・横断性脊髄炎を発症し、下半身不随により車いす生活となった。光を与えてくれたのがチェアスキーだった。去年11月に骨折し、今季初レースとなった。村岡桃佳は銀メダルを獲得し、冬季パラリンピック日本最多タイとなる通算10個目のメダ[…続きを読む]

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