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「残夢」 のテレビ露出情報

建畠晢は草間彌生が亡くなり、今回は生前遺してきたものを解説。草間彌生はアヴァンギャルドで男女や国を問わずに愛され、困難に満ちたこの世界を愛によって救おうという志を持っていたという。その活動は美術を中心に多岐にわたり、多くの人に愛されている作品の「大いなる巨大な南瓜」がある。草間彌生は自分は南瓜だと語っていたが、その理由に厳しくてどっしりとして愛嬌があると答えたという。その人生について、1929年に松本市で生まれた草間彌生は種苗業を営む裕福な家で生まれ、子どもの頃から幻覚に襲われ、それを絵に落とし込んでいた。その絵にはモチーフにいくつもの点描が施されている。その絵は次第に天才として美術界にも評価を受けていくが、絵の道を志し、美術学校で日本画を学んだ。当時の傑作の残夢は、生花の畑を真っ赤に描いた作品はシュールレアリスム。しかし草間はシュールレアリスムの運動には興味がなかったという。1957年にはアートで世界の舞台に戦おうと単身で渡米する。1960年にはネットペンディングの大作で新たなアートシーンを切り開く存在として脚光を浴びた。
ヨーロッパにまで活動を広げた草間彌生だったが70年代には活動拠点を東京に戻した。当時日本では草間彌生のニューヨークでの作品がヌードハプニングなどと報道されていたためにスキャンダラスなイメージだったが、実際の個展ではその才能をまざまざと感じたと建畠晢は答えた。1993年に草間彌生はポップでインタレストな画家だと評価が好転していたと答えたが、建畠は彼女の崇高さを知らしめたいと、ニューヨークの60年代のネットペンディングを紹介したという。結果的にそれは国際的に再評価につながり、各地で個展が開かれるようになったと語った。2016年には文化勲章を受賞した草間彌生。しかしその一方で彼女は孤独を強くしていったが、絵を描くことでそれを乗り切っていた人だったと答えた。そのような自己救済の願いで、戦争などがない愛のある世界にしたいという意思に結びついているのではないかと語った。

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