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「浦川玉治」 のテレビ露出情報

沖縄で戦死した北海道兵の名簿がある。南方の要衝が次々に陥落し寒冷地で訓練を受けてきた部隊が亜熱帯の島に送られることになった。沖縄で対峙することになった米軍はあまりに強大だった。米軍は瞬く間に北部を制圧し24師団に最前線への転戦命令が下った。600人以上の北海道兵が亡くなった。佐藤さんは91歳で亡くなるまで沖縄戦を戦った友人との写真を手元に置き続けた。生きて帰れないことを悟った佐藤さんは伊藤さんに遺言を託した。伊藤さんは戦死したが佐藤さんは奇跡的に生き残ったという。伊藤さんの故郷では1579人が沖縄で戦死している。
明治以来、空知は日本の近代化を支え戦争が始まると兵士を送り続けた。おびただしい数の兵士が軍が沖縄中に設置した野戦病院で亡くなっている。負傷兵は傷口を蛆だらけにして死んでいった。病院壕にはひめゆり学徒隊が動員され看護にあたっていた。横井さんは将来の約束を交わす人もいたという。爆雷を持って米軍の陣地に突撃した。胸の傷が癒えなかった横井さんは自決用の手榴弾が持たされたという。
北さんを含め倍本農場からは4人が出征し全員が戦死した。倍本農場に残る遺族は誰もいなかった。浦川さんは8人兄妹の長男でアイヌとして生まれた。6月下旬、沖縄では兵士も民間人も生きることより死ぬことが当たり前となっていた。横井さんは薬もなく水も食料も乏しい土の壁を見ているだけの毎日で、その後亡くなった。8月15日、戦争は終わった。沖縄では米軍の艦船が祝砲を盛んに打ち上げた。戦争が終わっても32人の北海道兵が死ぬことになった。戦後78年、命日祭が今も毎日行われている。

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