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「蒼空くん」 のテレビ露出情報

2022年の秋、やって来たのは澤野典子さん。1年ほど前から店に通うようになった。きっかけは出産直後に息子を亡くしたことだった。生まれた息子と同じ重さのぬいぐるみを大切にしている。3年に及ぶ不妊治療の末に授かった待望の第一子。しかし、妊娠中に病気が見つかった。蒼空くんが亡くなるまでの数日間、澤野典子さんは母親として片時も離れずに世話をした。また子どもを授かりたい気持ちはあるが、不安もある。この店は亡くなった子のことを普通に話せる場所だという。この店には大切な誰かを失った人たちが訪れる。深迫祥子さんはここを作ってくれたのは忍だと話した。
深迫忍さんが亡くなってから、もうすぐ5年。深迫忍さんが東京に出たのは大学進学のためだった。3年生の時に飲んだコーヒーが人生を変え、これまで知らなかったコーヒーの魅力に取り憑かれた。バリスタの世界に飛び込み、修行を重ねた。人のつながる空間作りが得意なバリスタだった。深迫忍さんが入れるコーヒーを目当てにお客さんが来ることもあったという。30歳になったら、地元・熊本に帰って店を開こうと計画していた。29歳の夏には店の設計図も出来上がり、夢が叶うまであと少し。しかし、深迫忍さんは職場でトラックに追突され、亡くなった。深迫祥子さんは亡くなった時はコーヒーを見ることも嫌になったと話した。毎日、息子のいる仏壇に何がしたかったのか問いかけていたという。そこで、息子がやりたいことを全部聞いていたことを思い出し、続きは私がやろうと決めた。深迫忍さんの同僚だった吉田一毅さんや福島宏基さんはコーヒーの入れ方などを教えたという。深迫忍さんの上司だった池田準さんは味のチェックなどをした。深迫祥子さんは忍はいないが、ほかに息子がいっぱい増えていった感じがあると話した。深迫祐一さんはみんなと色んな話をするのが今の楽しみだと話した。深迫忍さんの存在を知って店を訪れる人もいる。店内には深迫忍さんが最後に焼いた豆などが飾られている。
2022年の秋、やって来たのは岡田裕二さんと岡田こずえさん。1年前、2人は娘・岡田璃紗さんを交通事故で亡くした。岡田さん夫婦は熊本の特産品・晩白柚を作る農家。岡田璃紗さんが亡くなった頃、岡田裕二さんは体調を崩して晩白柚作りをやめていた。3人きょうだいの末っ子だった岡田璃紗さんには聴覚障害があった。夢は学校の先生になること。ろう学校で働くことが決まり、あとは卒業の日を待つだけだった。岡田さん夫婦に深迫祥子さんはジャム職人・松政耕治さんを紹介、晩白柚でジャムを作れないかと考えた。松政耕治さんはこのアイデアを快く引き受けた。岡田裕二さんは再び畑に立ち始めた。夢を追いかけていた深迫忍さんを撮影していたコーヒー仲間が伊藤朋春さん。撮影した写真をアルバムにして深迫さん夫婦に贈ったという。写真はドリップバックのデザインに採用。ドリップバックを作っている東京の製造工場にはコーヒー仲間の田島佳幸さんが働いていた。ふるさとで店を開くという同じ夢を語り合った仲だったという。
2023年の夏、東京では年に一度、かつでのバリスタ仲間が集まる日がある。この日に合わせて深迫さん夫婦が企画したコーヒーイベントが開かれ、その売り上げで大切な人を失った遺族を支援する。コーヒーを飲みながら亡くなった人の思いに触れてほしいと写真と家族からのメッセージが飾られた。イベントには岡田さん夫婦と松政耕治さんも来た。出来上がったばかりの晩白柚のジャムをイベントで販売し、“リサジャム”と名付けた。深迫忍さんがやりたかったもう一つのことが若者たちに焙煎を教えること。深迫祐一さんは若者を集め、焙煎を教えている。また、深迫さん夫婦はホスピスでの出張カフェも行っている。
2024年の春、やって来たのは澤野典子さん。次男・翔空くんを連れて来た。澤野典子さんは子育ての大変さを実感しているという。深迫祐一さんは店に来る方々と向き合っていきたいと話した。

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