栃木県鹿沼市にある防空監視哨は、太平洋戦争中に敵の飛行機を見張るための施設であり、当時敵機発見に頼られたのは人の目と耳であった。防空監視哨からの情報を基に空襲警報が発令され、宇都宮や東京を守るために存在した。主に10代後半の地元の青年たちが監視にあたり、24時間体制で監視していた。防空監視哨は全国約2000か所に設置されていたが現存するものはほとんどなく、資料の大半も廃棄されている。愛媛・八幡浜市で当時監視していた元防空監視哨員の井上は、監視中はさきに爆音が聞こえてくるのが先であったという。防空監視哨員の約8割が目と耳では先に耳で発見することが多かったという。「敵機爆音集」というレコードも販売されており、機種や高度別に収録されている。
京都に暮らす白畠は幼い頃に全盲となり、盲学校の音楽授業で「敵機爆音集」の音を聴かされていた。国民学校では市民自らの避難が目的であったが、盲学校では防空監視できる人材育成が目的であったと見られている。視覚障害者の歴史に詳しい岸は、当時視覚障害者たちは戦力にならないため社会から厳しい差別を受けていたという。「点字毎日」には当時の視覚障害者が考えた標語が掲載された。白畠は9歳の頃に戦争への見方が変わる出来事があり、ある日に覚えた敵機の音が聴こえ、友人と一緒に逃げたが、友人は爆弾の破片が当たり亡くなった。白畠は音で識別できたとて敵機はもうそこにいるのであり、今から考えれば馬鹿げたことなどと告げた。戦時中にはこんなにも残酷な形で差別が作用していたという事実を忘れてはならないのだと伝えた。
京都に暮らす白畠は幼い頃に全盲となり、盲学校の音楽授業で「敵機爆音集」の音を聴かされていた。国民学校では市民自らの避難が目的であったが、盲学校では防空監視できる人材育成が目的であったと見られている。視覚障害者の歴史に詳しい岸は、当時視覚障害者たちは戦力にならないため社会から厳しい差別を受けていたという。「点字毎日」には当時の視覚障害者が考えた標語が掲載された。白畠は9歳の頃に戦争への見方が変わる出来事があり、ある日に覚えた敵機の音が聴こえ、友人と一緒に逃げたが、友人は爆弾の破片が当たり亡くなった。白畠は音で識別できたとて敵機はもうそこにいるのであり、今から考えれば馬鹿げたことなどと告げた。戦時中にはこんなにも残酷な形で差別が作用していたという事実を忘れてはならないのだと伝えた。
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