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「石山合戦」 のテレビ露出情報

大阪城天守閣・研究主幹・跡部信さんに大阪城を案内してもらう。問題「天守閣に飾られている動物は?」(答えは「トラ」)。現在の天守閣は豊臣時代の天守を復興しようという思いから、大阪夏の陣図屏風に描かれた天守を参考に造られ、屏風に描かれていたトラも再現された。天守閣の中を案内してもらった。南側に石山本願寺の推定地を示す石碑がある理由について跡部さんは「秀吉が(大阪城を)造る前には本願寺というお寺があった。お寺といってもほとんどお城のような構えで、摂津国第一の名城と言われるぐらいのお寺だった」と話した。そんな石山本願寺と争ったのが織田信長で、「石山合戦」といわれている。信長からすれば仕掛けられた戦いだったが、信長に仕えていた人が書いた文書を見ると信長もこの土地を狙っていたようで、交通(水運)の便が良いのがその理由だという。石山本願寺を落とした信長はその後、本能寺の変で討たれ、その後は秀吉が受け継ぎそこに大阪城を築いた。秀吉時代の天守閣は現在の位置ではなく、70mほどズレているという。その事実が明らかになったのは昭和に入ってからで、そのきっかけは昭和35年に豊臣期大阪城の本丸の絵図が発見されたこと。秀吉の大阪城は「大阪夏の陣」で焼けて失われたが、石垣は残っていた。それでも徳川幕府は秀吉の大阪城を全て地中に埋め、新たに築き直した。跡部さんいちおしの場所は「大阪城の中でも一番うまい算木積み」。「算木積み」とは崩れやすい角の強度を高める積み方で、いちおしポイントは「きれいな直方体の石だけで積み上げている点」だという。跡部さんが「すべて徳川幕府が積んだ石垣だが、秀吉が積んだ石垣を見ることができる」と話し案内してくれた。去年4月にオープンした「豊臣石垣館」では約400年間地中に眠っていた豊臣大阪城の石垣が公開している。秀吉の石垣は自然石をほとんど加工せず積む「野面積み」という方法だった。そのため隙間に小さい石を詰めて積み上げている。角の石が出てきたのは貴重だという。このように当時の当時の最新の築城技術を見ることができるのも大阪城だからこそ。石が赤っぽくなっているのは大阪夏の陣で焼失した痕跡だという。豊臣の痕跡を全て消しさり、その上に新たな大阪城を築いた徳川幕府。しかしそれが秀吉が築いたものと勘違いされて「秀吉は立派だった」と思われてしまったという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月15日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
大坂本願寺は武田信玄、朝倉義景、浅井長政以上に織田信長の手を煩わせたという。信長はきょうだいを失い、鉄砲で足を撃たれて負傷している。

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