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「神林勇太」 のテレビ露出情報

青山学院の運命の1日を密着。3年生の若林宏樹は1部屋に2人で住んでおり1人あたりのスペースは半分しか無かった。入口のドアに飾っていたのは松岡修造の格言カレンダーで若林は「ネガティブだから試合前に見ると元気が出る」とコメントしている。若林は1年生で箱根駅伝の5区に抜擢し、箱根駅伝5区は標高差800m以上で上り坂が続く過酷なコースだった。2009年に青山学院が33年ぶりの箱根出場を果たし、東洋大学1年の柏原竜二が区間新記録をマークし山の神となった。初めた5区を走った時の事を柏原に聞いてみると「ゾーンに入っているから表情はキツイが本人はキツくなかった。ゾーンに入った時はタスキを貰った時で終わってから反動が出た」などと話している。佐藤楓は「従兄弟が3年前に青学のキャプテンを務め区間賞も取って優勝していた」などと話している。山の神のキャッチフレーズについて柏原に聞いてみると「最初はトラックとか他の駅伝で区間賞を取っても見出しが山の神が多く好きでは無かった。引退して7年から8年が経ち山の神と言うフレーズを使ってどうやって世に出るか考えた」などと話している。山本浩司は「M1グランプリの時はネタ前にキャッチフレーズを作るがアキバ系カリスマデブと名乗った」などと話している。
山の神が生まれた5区で鮮烈デビューを果たした若林は当時1年生のころ、後続を突き放しトップを独走。青山学院は2年ぶり5回目の往路優勝を手にした。その時のゴールテープは往路と復路のゴールを切った人が貰えるそうで家にあるという。前回大会でもチームの主力として期待されていた若林にアクシデントが。勝ちたい思いが強すぎて2時間しか眠れない日が2~3日続いたそう。その結果熱が出てしまい体長を崩し1月1日の朝に伝えたという。失意の底にいた若林を奮い立たせた言葉は寮母の美穂さんの「原因はお前だよ。お前が走ればよかった。」と活を入れたという。佐藤はそれに対して美穂さんは監督でも気づかない事をアドバイスしてくれるとコメント。
柏原竜二は大学時代のスローガンである「その1秒をけずりだせ」が忘れられない言葉などと話した。
リベンジに燃える個性的な選手は田中悠登さんで夢はアナウンサーだという。中町2丁目ニュースの収録中で田中は「勝手に日テレ系列に入っていて社会課題に取り上げて若い世代に関心を持ってもらう思いで始めた」と語っている。練習の傍らでアナウンサーに扮し動画を投稿していた。
前回大会で8区で出場した田中は8位でたすきを繋がれると前半は区間新記録ペースで走るも6位争いからあっという間に引き離された。今月4日に行われた箱根メンバー入りへ向けた重要な練習では25km走を行い、田中は先頭から7秒遅れの5位でゴールした。一方若林は度重なるケガの影響で別メニューを行っていた。原監督は今年は特にメンバーが固まらないなどと話した。12月10日にメンバー発表が行われ、若林・田中ともに16人のメンバーに入った。

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