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「稲佐町(長崎)」 のテレビ露出情報

戦後間もない頃、原爆で大きな被害を受けた長崎の人たちを元気づけるためにつくられた「長崎盆踊り」。爆心地から約2kmにある長崎・稲佐町では800人以上が犠牲になった。「長崎盆踊り」の歌詞には原爆により草木がなくなった長崎の地に再び緑が芽吹いた様子などが描かれている。8歳のときに被爆した平野政子(87)は「被災者の人は音楽を聴いて心安まればいい」と話す。「長崎盆踊り」は原爆投下から2年後の8月9日に初めて披露された。会場には約3万人が参加したという。歌を作ったのは長崎市出身の本多正邦。原爆で肉親を亡くし「復興のために市民の心が一つになるものが必要」と考えたという。歌詞は市民から公募し、原爆の傷跡を感じながらも復興した町の光景が想像できるものを採用した。本多と親交があった宮川密義は「食糧的、生活的には苦しいけど盆踊りには行って踊ろうと、市民の気持ちを誘った歌」と話す。平野は今の盆踊りのきらびやかな様子について「華やかで皆ウキウキしていて“ああ平和になったのかな”“ゆっくりした生活になったのかな”と感じる」と話す。今は犠牲者への慰霊と平和への願いを込めて踊るようになったという。一般社団法人・長崎民謡舞踊連盟では「長崎盆踊り」の踊りの指導や講習会を行っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月23日放送 15:10 - 15:55 NHK総合
午後LIVE ニュースーンニュースのおかわり
8月15日放送「復興願う『長崎盆踊り』踊り続ける被爆者の思い」を紹介。長崎に投下された原爆の爆心地から2キろほどの距離にある稲佐町、ここでは800人余の犠牲者が出たとされている。この町で毎年踊られる「長崎盆踊り」。歌詞の中には再び緑が芽吹いた時の様子が描かれている。半世紀にわたって長崎盆踊りを踊り続ける87歳の平野政子さん、彼女は8歳の時に長崎市内の親戚の家[…続きを読む]

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