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「竹鼻信三」 のテレビ露出情報

亜細亜や太平洋の広大な地域を占領下においた日本軍だったが、連合国軍が反撃を開始すると劣勢に立たされた。戦況の悪化は隠しきれなくなっていたが、東京の新聞社に勤めていた森正蔵はアッツ島の戦いで日本軍が全滅したあと国民を鼓舞し愛国心を高める記事を書いていた。この頃新聞などにスローガンが頻繁に現れるようになった「玉砕」「鬼畜米英」など戦意を高揚させる言葉は、人々の日記の中にも浸透していた。今回集めたエゴドキュメントは1900人分、19万3481日分にのぼる。そこから戦意高揚に用いられた言葉を抽出し時系列に沿って並べると、1943年から6月から11月にかけて右肩上がりで増えていた。京都の呉服店で働いていた竹鼻信三は1943年、陸軍の兵器工場に徴用された。日記には「重大使命を思い一徴用工員の本分を尽くさん」「くにの為、昔の夢は皆すてて職場に生きん今日の喜び」などと綴られていた。この年国は国家総動員法に基づく徴用を拡大し、兵役についていない市民を強制的に動員していった。竹鼻は自分の店を持つことが夢だったが、その気持は押し殺すことにした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月13日放送 1:01 - 1:50 NHK総合
NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 前編
最初の証言者となるのは、1943年に徴用されて陸軍の工場で働くことになった竹鼻信三氏の日記。身体が弱く、兵役に就けなかったことを負い目に感じていた竹鼻は徴用される喜びを日記に綴っている。当時の日本はガダルカナルで米軍に敗北し、攻撃拠点となるラバウルを巡る消耗戦を連合国軍と展開していた。政府は失った飛行機や武器弾薬を増産するために徴用を強化し、その1人である竹[…続きを読む]

2024年8月15日放送 2:25 - 2:30 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
1943年国は兵役についていない人々を軍需工場などに強制的に動員する徴用を拡大した。竹鼻信三は妻子を残し大阪にあった陸軍の工場で働くことになった。竹鼻は軍のために働ける喜びを綴っていた。しかし竹鼻は不満をこぼすようになった。現品合わせにあったからであった。こうした中日本軍が占領していたアッツ島で1万人を超えるアメリカ軍が島に上陸した。そして守備隊2600人の[…続きを読む]

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