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「日本選手権」 のテレビ露出情報

五郎丸さんがプロへ一歩を踏み出したのはヤマハスタジアムだった。引退タイミングについて「35歳かなと思っていた。プレーが終わったタイミングと節目として良かった」などと説明した。普段は会社員と同じ生活をし、主張が多いという。五郎丸さんは早稲田大学で全国優勝を何度も経験し日本代表デビューを果たす。その後、ヤマハ発動機ジュビロに入団し静岡県でのプロ生活が始まった。ヤマハ発動機ジュビロを選んだ経緯について「次のステップで日本一になったことのないチームに行き成長しながら日本一をとって喜びたいという思いが強かった」と語った。期待と夢を抱き始まったプロ生活は順風満帆ではなかったという。追い打ちをかけたのは2008年のリーマンショックで大幅な赤字でチームも縮小されプロとしての契約は打ち切りとなり社員として働きながら戦うこととなる。印象に残っていることは「宣伝広報部に行って上司の方はやるときはやろうみたいな仕事は仕事でやろうと感じで言ってくれた。1回、怒られたこともある」などと語った。会社員を経験した五郎丸さんは試合中でも職場の仲間とのつながりを感じたという。
2015年、日本選手権の決勝に進出し優勝を果たした。五郎丸さんは「苦しい想いをしたからこそ愛着が湧いた。チームを離れることなくチームに残ったメンバーがチームを支えてきたので嬉しかった」などと語った。もし社員を経験をしていなかったらと質問され「社員をやったことが美しいと思わない。プロを続けることは一番良かったんでしょうけど人生、そんなに甘くない。どっかで自分が望んでいない人生はくるのでネガティブにとるかポジティブに捉えるかこの後の人生が変わってくる」と語った。五郎丸フィーバーの裏で感じたのは「もどかしさ」だった。五郎丸さんは「1人にフォーカスするのはおかしい。違和感を感じたけどラグビーを知らない人が多い。自分に与えられた仕事をしただけ」と語りラグビーの本質を伝えたかったという。五郎丸さんは35歳を機に引退を決断した。今、日本ラグビー界は大きく変わろうとしている。「ジャパンラグビー リーグワン」に名前を変えより地域に密着したチームに生まれ変わろうとしている。五郎丸さんは静岡ブルーレヴズで運営を担当する。11月始め、開幕戦の準備に追われていた。地方にラグビーチームがある意味について質問され「地方のチームだからできるアクションはあるし市民、県民に愛されるチームをみんなが目指していくと思う」などと答えた。五郎丸さんは「ラグビーが好き。ラグビーをもっと見に来て欲しいし身近に感じて欲しい。世界観を作っていく面白さは感じている」などと語った。新しい道に進む今、伝えたいラグビーの魅力について「チームのため無心で体を張り続けられる。そこに見返りは求めていない。日常ではありえない。でもスポーツにはない。やっていて気持ちいいし究極の選択が毎回来る中で仲間たちと一緒にいるのは幸せ。結果、勝つことができたら最高」などと語った。

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