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「荒川第三調節池」 のテレビ露出情報

今回は荒川の治水を特集。台風10号の影響から東京でも洪水警報は出されるなどし、令和元年東日本台風の際に荒川では岩淵水門を閉じるなどしたが水害は発生していない。400年の歴史を持つ荒川だが、元々は利根川と同じ水系だったのだといい、当時は合流する下流では水害が発生していた。この問題に初めて着手したのは徳川家康だといい、利根川は千葉・銚子方面に流れるようにし、荒川も西側へと移動させることで利根川での水害は改善された。これに対し荒川は工事のあとの1742年に浅草川の洪水で約4000人の命が失われるなどし、1910年には埼玉県内の平野部や東京の下町が浸水被害を受けた。そこで明治政府が抜擢したのはパナマ運河建造にも関わった青山士で、荒川の東に荒川放水路という全長約22km・幅500mという新たな水路を約20年かけて作り、ここの分岐に岩淵水門はある。しかし、1947年にはカスリーン台風により葛飾区・足立区・江戸川区が水没する被害が発生し、1970年に荒川第一調節池の工事が始まった。貯水を行う彩湖が1997年に完成し、全体の完成は2004年のこととなった。越流堤というところから荒川の水が調節池に流れる仕組みとなっていて、全長約8.1km・面積が約5.8平方km・最大容量は3900万立方mとなっている。令和元年東日本台風の際にはここで水を受け止めることで、岩渕水門の最高水位を30~40cm低下させたと推定されているが、橋の桁下1.2mまで水は迫っていたという。荒川が決壊すれば地下鉄を通じて東京や銀座も水没して約4000人もの死者が出ると推定される中、荒川の調節機能を更に強化するために荒川第二・第三調節池も整備が進められ2030年度の完成をめざすとともに、今後は第四調節池も検討されている。第二・第三調節池は2026年以降の活用が想定され完成すれば計5100万立方mの貯水能力を持つという。

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