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「藤原善也」 のテレビ露出情報

岡山を訪れた柴田英嗣は藤原加奈さんと対面した。大学時代に父親に先立たれ、専業主婦だった母親は社長を務めることになったという。藤原さんは副社長を務めるなか、経営の難しさを痛感したといい、20年も社長業を続ける母親にサプライズで感謝したいという。会社は90年以上の歴史がある機械メーカーで、従業員は156名。柴田は全国の社長に知られざる苦悩を訊ねるという贋番組で藤原恵子社長にインタビュー。社長は苦労話など忘れてしまい、喜びの方が多かったという。1974年、恵子さんは善也さんと結婚し、2人の娘に恵まれた。20年後、善也さんは社長に就任したが、2000年の夏、水難事故で死去。
5ヶ月後、恵子さんは会社の会長でもある父親から呼び出され、代表取締役社長に就任するよう言われた。ただ、社員たちにはお飾りとして期待され、「冠婚葬祭だけ行ってくれれば」と望む人も。恵子さんは子育ての経験を活かし、「会社のお母さんになる」と心に誓った。2008年、平野絵美さんは第1子を出産。産休取得は考えず、退職を考えていたが、社長からの一言で産休・育休取得第1号となった。復帰したあとも社長は「長い目で見てあげて」と平野さんの上司に伝えていたという。専務の狩山昌弘氏は2002年、奥さんに先立たれた。仕事が山積みのなかで闘病中の奥さんを看病することはできないと諦めていたが、社長は「病院につきっきりでいなさい」と声をかけた。狩山氏は数週間、一緒の時間を過ごせたという。
社員たちは社内放送で恵子社長を呼び出し、ビデオレターを上映する。社長が映像に釘付けになっている間、集まった社員が「ありがとう」を伝えるというプロジェクトが始動した。40代でシングルマザーとなった土井洋子さんは44歳の時、恵子社長の会社に採用された。女性の管理職はこの会社の歴史で初めてだという。2年前、がんを患っていることが判明。身内よりも先に社長に相談すると、病院を勧めてくれた。吐き気、倦怠感に悩まされた抗がん剤治療を終えると、社長は祝着してくれたという。サプライズプロジェクトで、絵が得意な社員さんが社長の夫である善也さんの似顔絵を描き、メッセージ付きのアニメーションを上映することを決めた。狩山専務らは「自分が思っていたことをやってくれたな」と前社長は恵子さんに感謝するのではないかなどと話し合った。
社長は緊急の要件で呼び出されると、巨大モニターが設置されていて、ビデオレターが始まった。社長が映像に集中していると、社員や社長の孫たちが後方でスタンバイ。映像が終わると、藤原副社長ら社員たちが感謝を述べた。社長は「みなさんに助けられて、支えられていままで来ました。これからもどうぞ、よろしくお願いします」と語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月19日放送 0:10 - 0:40 NHK総合
サンキュープロジェクト(サンキュープロジェクト)
岡山を訪れた柴田英嗣は藤原加奈さんと対面した。大学時代に父親に先立たれ、専業主婦だった母親は社長を務めることになったという。藤原さんは副社長を務めるなか、経営の難しさを痛感したといい、20年も社長業を続ける母親にサプライズで感謝したいという。会社は90年以上の歴史がある機械メーカーで、従業員は156名。柴田は全国の社長に知られざる苦悩を訊ねるという贋番組で藤[…続きを読む]

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