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「西田倫実」 のテレビ露出情報

今回、取り上げるのは2008年放送「課外授業 ようこそ先輩 ~みんな生きていればいい 福島智~」。ゲストは東京大学・先端科学技術研究センター・特任教授の福島智さん。9歳で視力を、18歳で聴力を失い、全盲ろう者になった。福島さんとの会話は指点字で行う。
2008年放送「課外授業 ようこそ先輩 ~みんな生きていればいい 福島智~」の映像が流れた。全盲ろう者の福島さんが訪れたのは神戸市立舞子小学校6年3組の教室。挨拶をした後、生徒たちに自己紹介をしてもらった。生徒たちは自分の名前を福島さんの手のひらに指で書くなどして伝えた。福島さんの母親・令子さんは指点字の考案者だという。福島さんは小学校3年生・9歳で失明し、18歳の時に耳も聞こえなくなった。指点字は両手の人差し指・中指・薬指を使って相手の指にタッチしていく会話方法。生徒たちは自分の名前を指点字で打つ練習をした。指点字は熟練すれば同時通訳のような早さで会話ができる。そして、相手の表情やしぐさ、周囲の様子を伝えることで盲ろう者にとって、その瞬間の様々な情報が入ってくる。
福島さんは1983年、盲ろう者として日本で初めて大学受験を突破。東京都立大学へ入学し、教育学を学んだ。卒業後、金沢大学・助教授を経て、2001年に東京大学・助教授に迎えられた。障がい者が社会の中で壁を乗り越えていく研究を続けている。神戸市立舞子小学校6年3組の生徒たちはアイマスクとヘッドホンで光・音を遮断して福島さんと同じ状態を体験した。その後の給食は全員が黙って食べた。福島さんは自殺を考えたことはない、生きる上で原動力になったのは何なのかを子どもたちと語り合う中で再発見したいと話した。生徒たちは目が見えない・耳が聞こえない状態に突然なったらどう思うかを作文用紙に書いた。その後、目が見えない・耳が聞こえない時の辛さについて意見を出し合った。福島さんは盲ろう者になっても点字のトランプを使えばゲームができる。でも、周りの皆の反応が分からないから面白くない。一番辛かったのはコミュニケーションができなくなったことだと話した。絶望のどん底で福島さんは自分の人生にとって苦悩は人生を輝かせるために必要なものだと自分に言い聞かせていたという。苦悩とは孤独、だからこそ他の人とつながろうと思うと話した。福島さんは生徒たちに生きるとはコミュニケーションをすることだと伝えた。人生には難しいことや失敗があるが、それは全て小さなこと。生きていることがクリアされていれば、90%以上人生は成功していると話した。
女の子から「人生で一番良かったことは何ですか?」と聞かれた福島さんは不意を突かれた感じで何が良かったのか考えた。その結果、生きていることだなと改めて思ったと話した。盲ろう者になり、なんで自分だけこんな目にと思った。小さい時、同い年の子が電車の事故で亡くなったり、病気で少し年上の子が亡くなったことがあった。自分は目が見えず、耳も聞こえないが命を与えられている。これには意味があると思ったという。自分と同じような人のために何かしろというミッション、使命があると思ったと話した。日本に盲ろう者は約1万4000人いる。そして、全国盲ろう者協会という組織が作られた。福島さんは高校の時の先生にやりたいと思うのならやってみればいい、上手くいかなかったらその時考えたらいいと言われ、とにかくチャレンジしようと決意したという。福島さんは障がい者の問題は突き詰めるとメリトクラシー(能力主義)にたどり着く。人として生きていることが一番大事だと考えられるかどうかが皆にとって大切なことだと話した。盲ろう者の場合は集団の中にいても孤独を感じる。孤独は暗闇で、他者とつながっている時は光を感じるという。池上さんとの対話は自分にとっては大きな喜び。逆にコミュニケーションが上手くいかない人は辛い状況にあると思うと話した。目が見え、耳が聞こえる状態で絶望的な孤独を感じている人がいた場合、福島さんはその人から目を離さない。自分も孤独だと伝え、一人ぼっちじゃないと伝えると話した。いま楽しいことを聞かれた福島さんは仲間とお酒を飲みながらコミュニケーションをとったり、ビールを飲みながら好きな本を読むことだと話した。福島さんは休日に近所の公園へ散歩にでかけ、花の匂いを楽しんだりしている。

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