琵琶湖の北と余呉湖の間にそびえ立つ賤ヶ岳。天正11年、この地で柴田軍と羽柴軍が激突した。世に云う「賤ヶ岳の戦い」だ。羽柴軍が本陣を置いたのは、賤ヶ岳の麓の木之本。北陸へとつながる道と岐阜方面への近道が重なる交通の要衝で、江戸時代には宿場町として整備された。秀長は、この木之本の東側にそびえる田上山に陣を構えた。柴田軍と対峙するにあたり、秀吉が細かな戦術を指示した書状も残されており、秀長が陣営を任されていたことがうかがえる。柴田軍の急襲にあう羽柴軍だったが、美濃から戻ってきた秀吉軍の奮戦により勝家は前線で孤立。秀吉と勝家の戦いは越前へと移っていく。
