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「貧乏との戦い四十年」 のテレビ露出情報

岩手県普代村は三陸沿岸の漁業が盛んな村で東日本大震災による津波で太平洋沿岸の町や村を襲った中、普代村は住宅の浸水や死者は0であった。村を津波から守ったのは高さ15mの普代水門と太田名部防潮堤である。2つの防災施設を発案し建設したのは普代村元村長の和村幸得さんで、普代村はかつて明治三陸地震・昭和三陸地震による津波被害に遭っており、明治三陸地震では日本の津波被害史上最大の死者22000人を記録し、普代村でも1000人以上の死者が出た。普代村には当時の津波の到達点が残され、和村幸得自伝貧乏との戦い四十年では昭和三陸地震の当時の様子が綴られている。1967年に岩手県で最も高い太田名部防潮堤が完成し、1984年には普代水門が完成した。東日本大震災の津波では普代水門に24mの津波が襲い、想定以上の高さのため水門は乗り越えられたが津波の力は弱くなり先の防潮林で止まった。太田名部防潮堤は2重の防波堤が津波の力を弱めたことで太田名部防潮堤が村の居住区を守った。

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