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「足利義昭」 のテレビ露出情報

1568年、当時京の都を追われていた足利義昭を手助けし、ともに上洛を果たした。しかし5年後、信長は義昭を都から追放。室町幕府は滅亡へ向かった。この新たな時代の到来に大きな役割を果たした城があることがわかってきた。天守が初めて誕生したのはこれまで安土城においてだと考えられてきた。同時代の記録には旧二条城に天主が存在していたと記されている。ただ、これまで建物の跡が見つかっていないため記述の真偽は裏付けられていなかった。近年、表面は探査という科学的手法で地中を調査したところ、堀の痕跡が見つかった。このデータとこれまでの発掘調査の成果を照合した結果、旧二条城の知られざる構造が浮かび上がってきた。復元した本丸の形を見ると“出隅”があった。後の時代に造られた全国各地の城では多くの場合、出隅の上に天守が建てられている。上洛を果たした信長だったが、日本各地は尚強力な大名たちが支配している一触即発の緊張状態が続いていた。さらに、都の周囲に残る豪族などとも激しく対立、天下統一に向け厳しい局面に立っていた。
一方、ともに上洛し将軍となった足利義昭は度々襲撃を受け命を狙われていた。義昭は新たな城の建造を計画。この時、自らその役目を担うと宣言したのが信長だった。宣教師の記録によれば、旧二条城の建設作業に従事したのはおよそ2万人。この大規模な城造りの現場をも信長は見せる力に変えようとした。「天下の名石」として時の権力者に寵愛されてきた藤戸石を、信長は家臣たちに賑やかに囃し立てさせながら旧二条城に運び込んだ。将軍の威光、自らの力を知らしめるかつてない奇策だった。さらに、天主を建てる場所に選んだのは都のメインストリート室町通りのど真ん中だった。こうして都の人々を驚嘆させた高層建築・天主が誕生。その威勢は遥か遠くの国の大名のもとにも響き渡った。越後を本拠とする上杉家には事実とは全く異なる誇張された風聞が伝わっている。都の空に高くそびえる天主を見せつけることで、天下人の権威を視覚化した。その後、義昭と袂を分かち京の都から追放。200年続いた室町幕府に終止符を打ち、天下人としての権威を我が物にしていく。1576年、天下統一の総仕上げとして安土築城へと乗り出した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月29日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
一乗谷では大量のかわらけが見つかっている。宴会で一度使われたら処分されるものだが、朝倉義景はそれだけ多くの宴会を催していたという。領内では多くの庭園の他、絶景を堪能できる御殿があったという。都の貴族、文化人を歓待し、犬追物や曲水の宴など伝統行事も催した。足利義輝の暗殺後、後継候補となった義昭は都で名声を高めていた朝倉氏に目をつけ、のちに領地を訪問している。朝[…続きを読む]

2025年9月14日放送 21:00 - 21:50 NHK総合
NHKスペシャル戦国サムライの城 第1集|信長 驚異の“城郭革命”
1568年、当時京の都を追われていた足利義昭を手助けし、ともに上洛を果たした。しかし5年後、信長は義昭を都から追放。室町幕府は滅亡へ向かった。この新たな時代の到来に大きな役割を果たした城があることがわかってきた。天守が初めて誕生したのはこれまで安土城においてだと考えられてきた。同時代の記録には旧二条城に天主が存在していたと記されている。ただ、これまで建物の跡[…続きを読む]

2025年9月1日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
これまで歴史の新説を紹介してきたが、今回も歴史作家で多摩大学客員教授の河合敦に歴史の最前線を教えてもらう。織田信長は居城のあった尾張のすぐ隣、美濃を攻略した頃から「天下布武」という言葉を使い始めた。河合は「天下統一して“布武”武士政権を作るという意味だと言われてきたが、最近ではそれを言わない教科書が出てきた。信長は天下統一を目指していなかったから」などとコメ[…続きを読む]

2025年8月24日放送 12:00 - 14:00 フジテレビ
なりゆき街道旅新軽井沢周辺で夏グルメ&買い物満喫旅
やってきたのは「川魚料理 ゆうすげ」。生け簀からすくう新鮮な7種の魚を使った料理が楽しめる。旅の終わりということでお酒で乾杯。古田は毎日酒を飲むが仕事には遅刻しない。最悪、現場の玄関で寝る。堤真一に蹴り起こされたことも。岡部は古田と「大河ドラマ」で競演。古田が演じていたのは足利義昭。酔っ払いのダメキャラの役柄で、初登場のシーンは千鳥足で登場。共演者から「本当[…続きを読む]

2025年4月12日放送 10:00 - 10:05 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース)
町田市の泰巖歴史美術館が購入、東大資料編纂所の村井祐樹准教授が調査していた織田信長の書状。細川昭元の家臣に宛てたものと判明し、安見宗房が河内国に所有していた土地の返還について綴られていた。信長が土地の調停や権益保証を担っていたことを示す貴重な資料。

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