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「逆修」 のテレビ露出情報

テーマは「天才仏師・運慶、鎌倉の閻魔像伝説」。鎌倉時代に活躍し天才と呼ばれた仏師・運慶。奈良・東大寺南大門の金剛力士像などを製作し、現存する作品の多くが国宝や重要文化財に指定されている。今回訪れた鎌倉にある円応寺には運慶が作った像がある。円応寺住職・今井耕龍さんが案内。十王堂と言われるお堂の中には閻魔大王像を中心に10体の像がある。重要文化財・運慶作「閻魔大王像」は像の目の内側から水晶をはめ込む技法の玉眼は運慶の製作した像に使われる特徴のひとつ。
笑い閻魔、子喰い閻魔、子育て閻魔の3つの異名がある。運慶が亡くなり目の前に閻魔が現れ地獄行きとされたが自分の姿を彫れば世の人々が罰を恐れ罪を犯さなくなるとされ生き返り、喜びながら彫ったの笑っているようにも見えるとされている。子喰い閻魔は赤ちゃんを山賊にさらわれた母親が騒ぐと殺すと脅されたところ閻魔像から舌がのび赤ちゃんを飲み込いみその後子どもが帰ってきた、その子が成人まで育ったことから子育て閻魔と呼ばれているということ。以前、番組で紹介した運慶仏は「閻魔像」と同じように鎮座する国指定重要文化財「阿弥陀如来坐像」と見比べると全然作風が違う。重要文化財「大威徳明王像」と顔を見比べると似ている。
鎌倉・円応寺にある「閻魔大王像」を円応寺住職・今井耕龍さんが案内。閻魔大王を囲む像は人が亡くなった後に冥界で出会う10人の王たちで「十王」と呼ばれている。十王は死者の生前のおこないが許されるか裁かれるかを判断する王様たち。初七日に出会う王様・秦広王は3通りの渡り方があるさんずの川のどこを渡るかを決める王だという。昔の人は初七日の法要を行えば生前の罪が許されると考えていた。源頼朝の鎌倉時代は戦の時代。戦に負けると一族は滅んでしまうこともあり、供養してくれる人もいなくなり、罪を懺悔できない。今で言う生前葬の「逆修」で生前に死後の幸福を祈って仏事を行った。
運慶仏の特徴は仏像の胸の中に入れる仏の魂月輪型銘札、誰の依頼で製作したかなど細かな情報が書かれている。閻魔像にはないが、境内の釣り鐘に彫ったと記されているということ。元々閻魔様は長谷になり鎌倉幕府滅亡の後足利尊氏が海岸のほうに移築したと書かれている。由比ガ浜が赤く染まるほどの戦いを弔うために閻魔像を移築、その由来が一の鳥居近くにある閻魔橋だということ。

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