「ドクターイエローを見ると幸せになる」。そう書かれた最も古い記事を探すと見つかったのは2008年、約17年前の中日新聞。そもそもドクターイエローとは線路や架線の状態を調べる検測車で、黄色のカラーリングは夜間の作業でも目立つようにするためだという。しかも、その総数は61年という新幹線の歴史で数台しか作られていないという極めてレアなもの。少なくともゼロ系ベースが現役だった2005年より前には見たら幸せ伝説があったことになる。ネット上をくまなく探してみたところ、ドクターイエロー伝説に関する最も古いものは2000年に書かれたものだった。番組は沿線の街をローラー作戦で徹底調査。愛知県豊川市の旅館の女将は、40年近い女将人生でたった一度だけこの写真をものにした。神戸市にある人と防災未来センターが集めた阪神淡路大震災の映像の中に、崩れた高架橋を懸命に修復する光景があった。そしてその3カ月後のニュース映像には、奇跡的に復活した高架を走るドクターイエローの姿も。ということは、もしかすると未曾有の大震災から立ち直ろうとする市民たちがあの黄色い車体に幸せの象徴を見いだしたのかもしれない。しかし、ドクターイエローの噂は、震災前から聞いていたという。1977年に公開され大ヒットとなった。高倉健さんが主演し山田洋次監督がメガホンを取った「幸福の黄色いハンカチ」この映画により黄色=幸せという図式が出来上がりそこに当時から希少性の高かったドクターイエローが重なり、あの伝説ができたのではないかというのだ。映画よりさらに2年前の1975年には、黄色いビートル伝説なるものがあった。「黄色いビートルを見ると幸せになる」という噂は、フォルクスワーゲンの公式Facebookにもつづられている。そこで当時から黄色いビートルに乗り写真絵本なる本まで出版していた写真家・広田尚敬さんに話を聞いた。そんな広田さんがはっきり覚えているのはビートル購入から2年後のこと。もしこれがドクターイエロー伝説のルーツなら「幸福の黄色いハンカチ」よりさらに2年古い源流にたどり着いたことになる。
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