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「阪神・淡路大震災」 のテレビ露出情報

災害時のアナウンサーの呼びかけはどうあるべきか?日本テレビ・矢島アナウンサーが過去から学ぼうと問題提起した。アナウンサーが視聴者に向けて避難の呼びかけ等をする際に事前に用意された予定原稿を読むことがある。例えば「津波警報です。1m~3mの津波が襲来します」。確かに津波警報は1mを超え3m以下の高さの波が予想される時に発表されるが、気象庁が実際に数値で発表するのは3m。テレビ画面にも津波警報・高さの予想は3mと発表されている。一番低い値を言うことによって到達する津波が1mだという誤解を与えてしまう。続いて「けがをしないよう家の中でも靴を履きましょう」。震度7では家さえも倒れてしまいがちな危険な状態になる。1995年1月に発生した阪神・淡路大震災。当時、東京で勤務していた元NHKアナウンサーの住田功一さんは帰省していた神戸で大地震に遭遇。「家が潰れてマンションが崩れて遠くで火の手があがってる。この状況を何とか伝えようとするも中継者にたどり着くのも大変。東京と被災地の温度差も現場では嫌というほど感じた。中継が始まると東京から阪神高速道路が映っているので交通情報も交えて伝えてほしいと要求された。ところが現場は交通規制が行われて3時間も車が動いてない。私はその現場しか知らなくて後ろの状況は分からない。東京の平時の感覚で言ってくる…そういうギャップを感じた。いつもの感覚で「明るいニュース」「一歩前進のニュース」と伝えることが本当に被災地のためになっているのかなと被災地にいて痛感した」と話した。2016年4月に発生した熊本地震。震度7の大きな揺れが2度も起きた。当時、熊本県民テレビのアナウンサーだった三宅宣行さん。実は18歳の時に阪神・淡路大震災も経験。「当時の感覚としては阪神・淡路大震災よりも熊本地震の本震の方が怖かった。緊急地震速報が発表されて揺れがくるのではなく揺れて緊急地震速報が出た。そういったことが熊本地震では特徴的だった。大きな地震が起きることに対しての想定原稿というのは自分たちアナウンサーとして頭の整理をしたり「こういう表現があるな」とか参考になるかもしれないがその時に発生した状況とか日時・季節等によって呼びかける内容が変わってくるのでは」と話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月28日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
300人以上が犠牲になった能登半島地震。この地震は科学者たちの想定を大きく超えるものだった。田村修次教授が注目したのは横倒しになった7階建てのビルでガラスは大体残っていて、さらに建物の損傷に比べ杭基礎と呼ばれる構造物が大きく壊れていた。リスクは能登半島以外の全国にも広がっている。軟弱地盤とされる東京は首都直下地震による被害想定では軟弱地盤に建つビルの杭基礎へ[…続きを読む]

2024年9月27日放送 20:00 - 21:48 テレビ朝日
タモリステーションコンビニ誕生50年…総力特集
1980年代に入り、コンビニの社会インフラ化進む。インフラ化のきっかけは阪神・淡路大震災。地震翌日に、地域のために営業を再開したコンビニがあった。

2024年9月25日放送 18:30 - 22:57 TBS
世界くらべてみたら×それって実際どうなの会(巷のウワサ大検証 実際どうなの会)
長野・上田市でJPがあずさ号が丸ごと入った家を訪れ、奥さんと2人で暮らす鈴木さんに話を聞いた。車両内には畳が敷かれ居住スペースのようになっていた。噂を聞きつけた鉄道の整備士が3年間ボランティアで修理してくれたという。希望者がいた場合は民宿として貸している。元々の家はあずさ号のみで、今住んでいる家は後から増築したものだった。当時は畳も敷かずそのままの状態で、お[…続きを読む]

2024年9月22日放送 19:00 - 21:54 TBS
坂上&指原のつぶれない店百貨店応援プロジェクト第2弾
番組ゆかりのおせちを作る。花畑牧場のブラータチーズにズワイガニの甲羅盛りを加えた。さらには参の重はスイーツにしたいという。そこで宮城県のウジエスーパーのぷるるん食感 季節の葛(KUZU)バーをおせち用に改良。そしてユーハイムから塩キャラメルバウムクーヘンを。そして最後のデザートは北海道のいももちのアレンジを亀屋良長本店に依頼し、いももちとスライスようかんを組[…続きを読む]

2024年9月21日放送 8:15 - 9:00 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜世界最長 悲願のつり橋に挑む 明石海峡大橋40年の闘い
明石海峡大橋の建設に向けて新日鉄と神戸製鋼で強力なワイヤーが開発された。ただし重さ9万トンの橋桁をつり下げるにはこのワイヤーを3万7000本束ねる必要があった。この大量のワイヤーをどうやって4キロの海峡に架けるか。これまで100年、ワイヤーは数本ずつ渡しては人力で束ねる工法が主流だった。三田村はこれまでの橋で日本独自の技術を磨いてきた。専用の設備でワイヤーを[…続きを読む]

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