JR阿佐ケ谷駅前で出会ったのはキックボードで遊んでいた久我成一さん(56歳)。この日はダメだったが、後日合流して家までついて行った。家が近いため、コンビニ代をお支払い。缶チューハイ・ビール・水を購入して518円だった。お酒を造る機械を販売する営業マン。妻と4月から高校3年生の1人娘がいるが、1人でアパート暮らしだという。午後7時45分に帰宅。築48年の1R(5帖)で家賃は4万円より安い。コンビニが近いので冷蔵庫は無かった。朝5時に家族がいる家に行って身支度してご飯を食べ、家族が起きる前に出社するという。部屋には趣味のレコードがたくさんあった。小沢健二を知らない取材スタッフのために小沢健二「ラブリー」をレコードで聴かせてくれた。曲を肴に晩酌した。アコースティックギターが5本あり、即興で弾いてくれた。ノートにはオリジナルソングの歌詞とコードが書いてあった。半年で50曲を制作したという。その中から「メモリー」を弾き語りしてくれた。小5の時に「いとしのエリー」が大ヒット。貸しレコード店へ通い、ギターを弾きたいと思った。16歳の時に8,000円で購入して弾きまくっていたら成績が急降下したが、盛り返して広島大学に合格。20~30代は趣味で音楽をやっていたが、家庭を持ったのをきっかけにやめたが、今でもライブは月に1~2回やっているという。家族で暮らしていたマンションは2DKで娘のプライバシーがないため久我さんが別居した。スマホにある娘の写真、幼少期の手紙を見せてくれた。高校生になって反抗的が始まった。同窓会で話したら、どこの家も同じような感じだったという。娘の話は妻から聞いている。距離を置いたことで徐々に関係が回復している様子で、翌日が誕生日だという久我さんは娘からプレゼントにポテトチップをもらった。娘は大学に進学したら一人暮らしをする予定。そんな娘を歌った「4月になれば彼女は」を弾き語りしてくれた。阿佐ケ谷で久我さんの家について行ったら…年頃の娘を気遣う優しいお父さんの素敵な歌が聞けました。