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「難民条約」 のテレビ露出情報

難民を支援する国連機関UNHCRの高等弁務官を10年間に渡って務めた緒方貞子さん。1927年に現在の東京・港区に誕生。曽祖父は、満州事変のあとに五・一五事件で暗殺された内閣総理大臣・犬養毅。外交官だった父親の海外赴任に伴い、幼少期をアメリカと中国で過ごした。大学卒業後はアメリカに留学。満州事変を研究テーマに掲げ、日本はなぜ戦争に突き進んだのかを政治学の視点から解き明かした。33歳で結婚し、2人の子どもを育てながら大学で国際政治学の強弁をとり、1991年に日本人初・女性初の国連難民高等弁務官に就任。
その年、中東では湾岸戦争が勃発。サダム・フセイン政権からの迫害を恐れたイラク北部のクルド人が大量の難民となって国境地帯に押し寄せた。イランは国境を開放し140万人がイラン国内に非難したが、治安の悪化を恐れたトルコは入国を拒否。40万人以上の人々が行き場をなくしてしまった。国連の難民条約では、難民は「国境の外に出てきた人」と定義されており、イラク領内にとどまるクルド人は援助の対象ではないというのがそれまでのUNHCRの方針だった。しかし、緒方さんは幹部職員たちの反対を押し切り、「難民を保護する。生命の安全を確保する」という根本的な考えからイラク領内での援助活動を決定。この決断はその後の難民救済のあり方を大きく変えた。
1990年代は東西冷戦の集結に伴い、これまで資本主義vs社会主義というイデオロギー対決の陰に隠れていた民族間、人種間の対立が激しさを増した。旧ユーゴスラビアではスロベニア、クロアチア、マケドニアなどが次々に独立を宣言。3つの民族が激しく対立したボスニア・ヘルツェゴビナでは、首都・サラエボを包囲したセルビア系住民がイスラム系住民を追い出そうと、連日砲撃を加えていた。孤立した住民を助けるため、緒方さんは援助物資を空から届けることを決断。そして空輸開始から6日目、緒方さんは重さ約15kgの防弾チョッキを身に着けてサラエボに降り立った。難民たちの恐怖と苦痛を身を以て感じるため、「国際社会はサラエボを見殺しにしていない」ということを伝えるためだ。サラエボへの空輸は3年半に渡り続けられたが、人道支援だけでは紛争は解決しない。世界各地で大量の難民が発生する中、緒方さんは人道支援の次のステップとして難民の帰還、地域の復興に着手。民族浄化が行われたボスニア・ヘルツェゴビナでは、3つの民族が一緒に働ける環境を整えることで地域経済の復興を図った。
2000年、緒方さんは3期10年をもって国連難民高等弁務官を引退。度々あった外務大臣就任の要請を断り、国際協力機構の理事長に就任。日本に対し難民問題にもっと積極的な役割を果たすよう求め続けた。時代の大きなうねりの中で苦しむ人々に寄り添い続けた92年の生涯だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年11月12日放送 21:00 - 21:50 NHK総合
NHKスペシャル迷の世紀 第12回 難民“漂流” 人道主義はどこへ
イギリスではことし3月、非正規な方法で入国した人々について保護の申請を受け付けないとする新たな法案が議会に提出され激しい議論となった。この1年前に政府はは非正規な方法で入国した人々をルワンダに強制的に移送する政策も発表していた。厳しい政策を推し進める政府に対し、野党は非人道的だと反発。対立が続く中、法案は僅差で可決された。難民の受け入れをめぐっては国民の間で[…続きを読む]

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