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「香薬師像」 のテレビ露出情報

新薬師寺の中田定観は香薬師像が消えた翌年に生まれた。そして、新薬師寺本堂には1300年前に作られた仏様も並んでいるという。本尊である薬師如来坐像はカヤの木から掘られ災難を取り除く願いが込められた。そして、その周囲には土から作られた十二神将立像がありいずれも国宝となっている。そして香薬師像は75cmで銅で作られ金の貼られた金銅仏となっている。専門家の山本勉氏は日本の仏像は中国大陸から造形を学んでいるが、香薬師像が作られた飛鳥時代後期でありこの時代は日本らしさが残っているのも特徴と紹介した。法隆寺の「観音菩薩立像(夢違観音)」や深大寺の「銅造釈迦如来倚像」のように国宝になりうる存在という。香薬師像は明治時代に写真が残されていて、これは唯一残る香薬師像の姿という。
香薬師像はなぜ姿を消したのか。中田住職は背景には像が金でできていると勘違いされていたことがあると指摘する。造形の美しさから黄金仏と呼ばれていたが、これが純金製だと勘違いされ盗難被害にあったものと見られる。当時香薬師像は本堂に安置され、希望者の拝観も認められていたが、何者かが本堂に忍び込んで盗んだと見られる。幸いこのときは奈良町天神社で発見されたものの右手が折られていた。中身が金であるかを確認するために右手を切り、金でないと判明したことで捨てたとみられている。明治30年に古社寺保存法が制定されると香薬師像は国宝に指定されたものの、明治44年に再び盗難被害に遭うこととなったが、被害額は現在の貨幣価値で約2億円となった。事件から11日が経つ中で大阪の畑で発見されたものの、香薬師像は足も切り取られたという。当時の写真では手は折られ、さらに切り取られた足首は行方不明となった。あしは木製で新たに補われ、手首は銅板で修復されることとなったが右手の中指もかけてしまっていた。新薬師寺は香薬師堂という施錠の付いた新たなお堂を建て、昭和17年には香薬師像を複製するための型取りを水島弘一は行い、直接石膏を塗って型取りを行い、最悪のときに備えた。しかし、錠前を破壊して安置されていた香薬師像が盗まれることとなった。太平洋戦争のさなかである昭和18年のことだったが、国宝の損失は新聞にも取り上げられることとなった。奈良県警も捜査本部を設置したがその後発見されることはなかった。
昭和25年には文化財保護法が成立し、国宝も全て一旦重要文化財として扱われることとなった。新薬師寺には重要文化財所有届が出され、香薬師像も行方不明ながら重要文化財として認められた。同年には香薬師像の複製が作られ、小説家で仏像を愛することで知られる佐佐木茂索が複製の制作を推し進めた。茂索は妻も香薬師像を愛していたのだといい妻を供養する思いで全額を負担して複製づくりを進めた。複製は本物から型をとっていることから精巧な作りが特徴となっていて、780年に新薬師寺が落雷で被災した際に焼けてしまった肌の荒れ具合も再現されている。香薬師像は民家の壁に塗り込まれたなどの噂も出たものの、未だに全ての行方はわかっていないが、一方で過去に折られた右手は発見されたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月21日放送 20:15 - 20:45 NHK総合
名宝消失(名宝消失 新薬師寺・香薬師像)
盗難事件から70年、右手だけが見つかったきっかけは、美術館のパンフレット。その記事によると、盗難から5か月後の昭和18年8月、衆議院議員の田万清臣が奈良警察署に保管されている香薬師像の右手を見に行ったという。記事には、「香薬師像はこの年の3月に盗難に遭い、過去の盗難で切断された右手だけが残された」と書かれていた。香薬師像複製のための型取りをした彫刻家・水島弘[…続きを読む]

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