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「鳴海城」 のテレビ露出情報

旅のお題は「なぜ織田信長は“桶狭間の戦い”に勝てたのか?」。タモリらは大高地区を訪れた。この地には大高城という重要な城があった。大高城はもともと織田家の支配下にあったが、桶狭間の戦いが始まる約1年前に今川義元に奪われてしまった。今川義元は尾張国への侵攻の拠点として海に面した大高城を狙っていた。一方、危機的状況となった織田信長は大高城がよく見える場所に鷲津砦と丸根砦という2つの砦をつくった。さらに、大高城から約2.5kmの場所にある鳴海城も城主の寝返りによって今川義元の支配下に。織田信長は善照寺砦・中島砦・丹下砦という3つの砦をつくって侵攻を食い止めていた。1年間にわたって織田信長と今川義元両者の睨み合いが続いた。そして、1560(永禄3)年5月19日、今川義元が戦いの口火を切った。なんと今川軍は朝のうちに鷲津砦と丸根砦を攻め落としてしまった。追い込まれた織田信長は全兵力を率いて善照寺砦に入った。織田信長がこの戦いが最も重要視していたのが情報。善照寺砦に織田信長が入った際、すでに諜報部隊を各地に派遣していた。そんな中、織田信長の元に「5月19日午前8時頃、今川義元が沓掛城を出て大高城に向かっている」との情報が入った。織田信長の2人の重臣が300の兵を引き連れて攻めかかったが全滅。窮地に陥った織田信長は善照寺砦を出て中島砦に移動。その際、織田信長はありったけの旗を善照寺砦に立てさせた。こうすることによって、本隊が移動したことを敵に悟られないようにした。中島砦は川の合流点にある。敵から丸見えの場所だったため、織田信長の部下たちは反対していた。続きは次回に持ち越し。

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