茶道裏千家15代家元を務めた千玄室。茶の湯文化の発展に力を注いだ。平成9年には文化勲章を受賞し、茶の湯を通じた平和の実現を呼びかけた千さんは大正12年、京都市生まれで千利休の流れを組む裏千家14代家元の長男で跡継ぎとして育てられた。同志社大学に進学するが、20歳のとき学徒出陣で海軍に入隊した。戦況が悪化する中、特攻隊員となった。千さんは恒に持ち歩いていた茶道具で茶を立て、戦友たちに振る舞った。仲間が次々と飛び立つ一方で、千さん自身は待機命令を受け出撃できないまま終戦を迎えた。自分だけ生き残った後ろめたさを抱える中、前を向くきっかけとなったのは実家で目にした光景だった。日本を占領したアメリカの軍人たちがお茶を習いに来たのである。敵味方も身分の上下もない茶室で茶の湯には千利休が唱えた「和敬清寂」という精神がある。千さんは27歳のとき、茶の湯文化を紹介したいとアメリカへ渡り様々な都市をめぐった。そしてロサンゼルスやニューヨークに裏千家の支部を設立し、ブラジルなど他の国々にも広げていった。昭和39年15代家元千宗室を襲名し、海外のイベントや記念行事に招かれる機会が増え一盌からピースフルネスを合言葉に世界各国を歴訪した。千さんが訪れた国はおよそ70か国にのぼった。家元を長男に譲り、玄室に改名したあとも精力的に活動を続けユネスコの親善大使も務めた。
