1976年に完成した大阪マルビルは日本で初めて完成した円柱形の超高層ビル。かつてマルビルで縁を結んだ夫婦がいた。岡村栄子さんと秀和さんは41年前にマルビル内のホテルで結婚式を挙げた。16年前、秀和さんはくも膜下出血で倒れた、一命は取り留めるも記憶が曖昧になってしまっているのだという。現在栄子さんは秀和さんの介護をしながら新聞配達で生計を立てている。逃げたくなることはあったという栄子さん。しかし逃げたらおしまいだと考えたのだと話してくれた。そんな栄子さんがマルビルの閉館を知ったのは昨年5月。栄子さんは2人の今後を考えるいいチャンスなのかなと感じたという。
人の縁とお金の円が集まるようにと建てられたマルビル、そのお金の円を象徴したのがバブル期に営業していたディスコ「マハラジャ」。全国の店舗でもトップクラスの売上だった。その立ち上げメンバーの1人小島弘三さん。家業の倒産による数千万円の借金を返すために夜の飲食店に入った。30歳の時、新店舗の店長を任された。一晩に1000万円を売り上げることもあり、借金は3年で完済したのだという。そんな小島さんは「マルビルが自分を引き上げてくれた」と話す。その後は飲食店経営で成功した小島さんは趣味のためにと一線を退いた。しかしその生活は想像していたものと違い、満足感が少ないのだと語る。そんなある日、小島さんはディスコで働いていた仲間たちとかつて店があった場所を見ておこうと誘われた。小島さんはあの時の気持を胸に今も働く仲間と再会し、刺激があれば飛びつこうかなとも思うと話した。
マルビルで結婚式を挙げた岡村さん夫妻。ある日、定期診断を受ける秀和さん。医師からはいずれ車椅子に乗ることになると言われている。秀和さんが倒れてから16年、栄子さんは記憶を少しでも呼び起こそうと、2人の思い出の写真を見せている。マルビルのホテルが閉館する前日、別れを惜しみ多くの人が訪れる中、岡村さん夫婦の姿もそこにはあった。ホテルのスタッフは2人が披露宴を挙げた会場に案内してくれた。スタッフは2人に一緒に新郎新婦入場をしてはどうかと提案。41年ぶりの新郎新婦入場、栄子さんは結婚して良かったと語った。秀和さんは「ここから家庭がスタートしたのだ」と語ってくれ、その夜お子さんやお孫さんも集まり食事を摂った。岡村さん夫妻はマルビルで新たな思い出を刻んだ。2030年マルビルは新たに生まれ変わる。小島さんは新たに仲間と店を始める準備を始めた。岡村さんたちはリハビリを続け、思い出の場所をめぐるのを目標とした。
人の縁とお金の円が集まるようにと建てられたマルビル、そのお金の円を象徴したのがバブル期に営業していたディスコ「マハラジャ」。全国の店舗でもトップクラスの売上だった。その立ち上げメンバーの1人小島弘三さん。家業の倒産による数千万円の借金を返すために夜の飲食店に入った。30歳の時、新店舗の店長を任された。一晩に1000万円を売り上げることもあり、借金は3年で完済したのだという。そんな小島さんは「マルビルが自分を引き上げてくれた」と話す。その後は飲食店経営で成功した小島さんは趣味のためにと一線を退いた。しかしその生活は想像していたものと違い、満足感が少ないのだと語る。そんなある日、小島さんはディスコで働いていた仲間たちとかつて店があった場所を見ておこうと誘われた。小島さんはあの時の気持を胸に今も働く仲間と再会し、刺激があれば飛びつこうかなとも思うと話した。
マルビルで結婚式を挙げた岡村さん夫妻。ある日、定期診断を受ける秀和さん。医師からはいずれ車椅子に乗ることになると言われている。秀和さんが倒れてから16年、栄子さんは記憶を少しでも呼び起こそうと、2人の思い出の写真を見せている。マルビルのホテルが閉館する前日、別れを惜しみ多くの人が訪れる中、岡村さん夫婦の姿もそこにはあった。ホテルのスタッフは2人が披露宴を挙げた会場に案内してくれた。スタッフは2人に一緒に新郎新婦入場をしてはどうかと提案。41年ぶりの新郎新婦入場、栄子さんは結婚して良かったと語った。秀和さんは「ここから家庭がスタートしたのだ」と語ってくれ、その夜お子さんやお孫さんも集まり食事を摂った。岡村さん夫妻はマルビルで新たな思い出を刻んだ。2030年マルビルは新たに生まれ変わる。小島さんは新たに仲間と店を始める準備を始めた。岡村さんたちはリハビリを続け、思い出の場所をめぐるのを目標とした。
住所: 大阪府大阪市北区堂山町10-3 東通ビル
URL: http://maharaja-o.jp/
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