今回考察する都市伝説は源義経は生き延びでチンギス・ハンになっていた説。この噂は江戸時代からあり、シーボルトの著書「NIPPON」で義経に関して、通訳が「義経は北海道からモンゴルに渡りチンギス・ハンになった」とシーボルトに話したと記載されている。シーボルトは医師のイメージがあるが博物学者でもあった。チンギス・ハンに関しての幼少期の記録が少なく、歴史の表舞台に登場するのは義経が亡くなったとされている1189年の直後で義経と入れ替えるようにモンゴルで頭角を現し歴史に名を残した。これにより、義経は生き延びていた説、モンゴルに渡りチンギス・ハンとなった説が浮上した。義経が生きていた説の1%の余白を確かめるために奥州市にある玉崎神社にやってきた。平泉から北に逃げた義経が立ち寄ったと伝わる場所は30カ所以上ある。義経は玉崎神社に5日間滞在し、そのお礼に槍を奉納したと伝わっている。
