TVでた蔵トップ>> キーワード

「Roll Over Beethoven」 のテレビ露出情報

1963年のイギリス・ロンドン空港に到着したザ・ビートルズはすでに人気になっており、空港には多くのファンや報道陣が押し寄せていた。ビートルズはアメリカでも人気になり、1962年からの8年間で17の国と地域でライブを行っている。4人が訪れると街が揺れたという。また「Yellow Submarine」という曲はフィンランドでも話題になり、ソ連の冷戦の壁もすり抜けていたという。
メキシコでビートルズは1965年に世界ツアーを予定していたが、メキシコシティの長官はビートルズの受け入れを拒否した。そこでビートルズのコピーバンドが大量に出るようになり、この様子を作家のガブリエル・ガルシア・マルケスが見て、長編小説「百年の孤独」を書いたという。
アジアでもビートルズは社会を揺らしていた。スカルノ大統領が強肩を奮っているインドネシアでは大統領がビートルズを秩序を乱す存在として危険視していたという。社会主義国のキューバでもフィデル・カストロがビートルズを締め出した。またソ連ではビートルズの曲を聞くために知恵を絞り、色々な方法で曲を聞いていたという。ビートルズの世界的コレクターのコーリャ・ヴァシンはそうした中でもビートルズを聞いていたという。
1970年にビートルズは解散した。さらにその10年後の1980年にジョン・レノンが殺害された。それでもビートルズが灯した火は消えなかった。コーリャは自宅にロックに飢えた若者や芸術を志す若者を受け入れるようになり、自由を志す若者の隠れ家になった。そして政府公認のレニングラード・ロック・クラブというものができ、ロックがソ連各地で解放されていった。そして1991年にソビエト連邦が崩壊した。キューバではジョン・レノンの追悼式典に、フィデル・カストロが参列したという。
21世紀の今もビートルズが自由に聴けない国がある。それが北朝鮮だ。ただその北朝鮮でビートルズの曲が堂々と演奏されたことがある。2015年に文化交流のためにスロベニアのロックバンドのライバッハが北朝鮮に招待されて「Across The Universe」が演奏されたという。2003年にポール・マッカートニーがロシアを訪問し、コーリャはポール・マッカートニーと抱擁することができた。そして2018年にコーリャ・ヴァシンは死去した。遺書にはビートルズの愛と平和の神殿を作るという夢が書かれていたという。
2008年のNASA創設50周年の記念イベントで北極星に向けて「Across The Universe」の音楽データが発信された。2026年6月18日のポール・マッカートニーの誕生日がコーリャ・ヴァシンの自宅で祝われたという。コーリャの死後、自宅は仲間たちによってビートルズ博物館になったという。

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.