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「UK B-Boy Championships」 のテレビ露出情報

藤枝市と掛川市をまたぐ場所でKARASAWA DANCE Crewは活動している。生徒にはダウン症や自閉症などが通うハートフルクラスが。メンバーは15歳から47歳。代表を務めるのは唐澤剛史さん。生徒たちにブレイクダンスを披露している。アメリカのストリートカルチャーとして広まったブレイキンは、全身を使った回転技や、静止技など重力を感じさせないアクロバティックな動きが人々をひき付ける。唐澤さんとハートフルクラスが目指すのは技を磨くのではなく楽しく自由に表現すること。唐澤さんは中学の時にブレイキン二出会い、アクロバティックに踊る魅力に惹き込まれ21歳でスパルタニックロッカーズ
のメンバーとしてイギリスで行われた世界大会に出場した。当時日本人には不可能とされた世界チャンピオンに輝いた。結婚を機に静岡に移住し、2003年にダンス教室をはじめた。澤本さんはダンススクールに通い初めて17年になるという。医師から一ヶ月検診の時にダウン症を告げられた。ダウン症の子供をもつ親の会で、KARASAWA DANCE Crewを知って教室へ。甘えん坊だった泰成さんは少しずつ変化していったという。
泰成さんは今年2月にグループホームの入居し工場での仕事をしながら家族と離れた仕事をスタートさせた。苦手なお金のやりくりもするようになった。新しい生活の原動力はダンス仲間の言葉。そして毎年には1200人が入る会場でダンス発表会を行うが、メンバーは1年かけて努力を続けた。ダウン症の柴田光浩さんは去年会場であびた歓声が忘れられないという。教室に20年以上通う光浩さんの得意技は回転技で、今年の発表会のフィナーレで自分だけのステージをやりたいと申し出た。
唐澤さんはこの日一時間速くスタジオにやってきた。気になる生徒がいるというが美澤健斗さんはダンスに熱中するあまり家に帰れなくなり、教室に来ることをやめていたという。唐澤さんは他の生徒がいない早朝に出すのレッスンをしたあと帰る練習をする提案をした。しかしこの日健斗さんは教室にはこなかったという。唐澤さんは普段滅多に帽子を取ることはないが、新しい生徒がきた時には帽子を外す。唐澤さんは高校1年生のときに原因不明の脱毛症を発症し人目を避けるようになった。高校も1学期で中退し半年間引きこもりになったという。絶望のふちで唐澤さんに生きる道筋を与えてくれたのはダンス仲間。連れ出された練習場には脱毛症になる頃とかわらない居場所があったという。脱毛症になって5年後には世界王者に。唐澤さんは生徒の要望に生徒がしっかり自身の言葉を理解しないことには重要な決断はできないと答えた。
KARASAWA DANCE Crewnに美澤健斗さんが3カ月ぶりにやってきた。大好きなダンスの練習がスタートした。帰りたがらない様子を見せていた前回とは違い、健斗さんはダンスが終わると素直に帰宅。唐澤さんはその様子に調子の良さを感じたという。

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